MIYAZAKI♥LOVE
平成元年付近や21世紀になった宮崎のことを語ろう
テレビ番組に登場した宮崎

西城秀樹さんが宮崎に来てた!?ブロウアップヒデキの撮影場所を考察してみた

平成元年あたりの宮崎の高校生たちがまだ高校生になるうーんと前、具体的には昭和50年(1975年)。

西城秀樹さんが宮崎でライブ…いや、あえて!

コンサートをされた事をご存じでしょうか?

昭和50年といったら、当サイトの運営陣はまだ小学校にも入学しておらず、ほんっとうに記憶が朧げなので、

このコンサートのことは全く知らないのですが、

そんな世代の我々も、そこから4年後の昭和54年(1979年)には、ザ・ベストテンで毎週1位に輝いていた西城秀樹さんの【ヤングマン(Y.M.C.A)】を夢中で観ながら、全力で踊りまくっていました。

…小学校低学年でしたので、踊りまくるというか『踊り散らかしていた』という表現の方が近いかもしれませんがw

とにかく毎週、ベストテンの時間になるとヤングマンの登場をワクワクしながら待ち、西城秀樹さんが歌い出すとともにテンション爆上げで飛び跳ね、踊り散らかし…

それがもうスッゴク楽しかった!!!

その気持ち良さだけは今でも鮮明に思い出せます。
踊りも含め、イイ曲なんだよあれは(^^)

そんな、物心ついたときには既に大スターだったヒデキが、物心つく前に宮崎に来てたなんて!!!

ヒデキ!カンゲキ!!!←同世代で知らない人を探す方が難しいフレーズですよね♪

さて、何故に運営陣がそんな貴重な情報を知ることとなったのか?まずはそれを説明しますね。

そして、運営陣がこの情報を知ったのも、こうして書いているのも、何かのご縁。

願わくばこの記事が、

多くの西城秀樹さんのファンの皆さまが探しておられる場所の発見に、少しでもつながりますように。

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ブロウアップ ヒデキ のこと

まず、冒頭で書いたコンサートのことなのですが、もの凄く大きなイベントだったようなのです。

札幌から沖縄まで、
日本全国を縦断するサマーフェスティバル!

これが
1975年(昭和50年)7月20日から、夏の1か月以上をかけて開催されたとのこと。

現在で考えても特大イベントですけど、それを現在ほど交通網なども整備されていなかった45年以上まえに当時20歳の青年がやってのけたという…凄いなコレ。

そして、この全国縦断サマーフェスティバルの様子やその道中でのオフの様子なども収録したドキュメンタリー映画の名前が【ブロウアップヒデキ】です。

ストーリー

※結末の記載を含むものもあります。

1975年。富士山麓に特設された野外大ステージ。ここで「西城秀樹・全国縦断サマーフェスティバル」の幕は切って落された。東京から、関東から、関西から、続々と集まるヒデキファン。ヒデキの登場を待つ顔、顔、顔。突然、巨大なスピーカーボックスからサウンドがほとばしり、場内は騒然となった。唄うヒデキ、エキサイティングなアクションで叫ぶヒデキ。オープニング・フェスティバルは爆発した。札幌→秋田→盛岡→仙台→広島……。フェスティバルの踏破距離五千キロ。各地のファンと熱い交歓をかわすエネルギッシュなヒデキ。宮崎の海岸。旅の合間に一日設けられたヒデキとスタッフの慰労の日。人気のない砂浜で、思い思いに夏を楽しむ。沖縄の夏。青い海の中。水中カメラが捉えた美しい熱帯魚の群れが、さっと散って、ヒデキの鍛えられた肉体が力強く水を蹴る。大阪球場-エンディング・フェスティバル。マンモス・スタンドを埋めつくした大観衆。暗黒の中に、さっと、カクテル光線が差す。舞台の中央に立つヒデキ。月光の中のヒデキ。照明灯の光を全身に浴びて、ヒデキは、今、自分の歌と肉体のすべてを大歓衆に向かって叩きつける。たかまるロックのリズム。凄まじい熱狂。光と音の華麗なるページェント。興奮と涙--青春のビッグ・イベントは、今、そのクライマックスを迎えていた……。

引用元:MOVIE WALKER PRESS【ブロウアップヒデキ】より

 

コンサートではなく【フェス】だったんだなぁ フェスを単独で出来るアーティストって…すごいなぁ
ちなみにこのフェスの会場、ネットで発見した当時の記事によると広島のあと、福岡→鹿児島→宮崎(8月9日:宮崎市民会館)→大分→松山→岡山→名古屋→大阪(エンディングフェス)→沖縄(スペシャルフェス)という順番で行われたようです。

ってか、当時は特に『陸の孤島』感が半端なかったと思われる宮崎にヒデキが来たというだけでもコレはスゴイことだったのでは??

 

で、何故この【ブロウアップヒデキ】を知ることになったのかというと、

西城秀樹さんのファンの方が、当サイトのこの記事に目をとめて下さったのを、Twitterで発見したのがきっかけでした。

記事内の写真の一枚

どうやら、ブロウアップヒデキのロケ地を探していらっしゃる様子で、

『川沿いの赤白と青白のテント、ヒデキがスケッチしているシーンと一致するのではないか?』という趣旨のツイートがあり…

どういうことだろう?と思った運営は、詳細を把握すべく、ツイートを含むツリーを確認し、そこで【ブロウアップヒデキ】ワンシーンの写真を、はじめて拝見したのでした。

と、同時に運営は、その場でひとり心のなかで叫んじゃったよね。

「おいおいおいおい!完全に橘公園通りじゃん!!!」

1ミリの不安も無いほど、ハッキリと橘公園通り…

「大丈夫!西城秀樹さんがスケッチブック持って眺めてるそのシーンのロケ地は、どう見ても大淀川沿いのホテル街!橘公園通りですよー!!!」

と、リアルにモニター越しに話し掛けてしまいましたw

これはどうにかしてこの想いをお伝えせねば…

 

【考察1】ブロウアップ ヒデキで西城秀樹さんがスケッチしているシーンのロケ地

そうだ!昭和50年のこの位置からの眺めなら、『然るべき位置』にあの特徴的な物が映っているのでは!?

と、目を凝らして見てみたところ…
あったー!!!ヽ(*゚∀゚*)ノ


この鉄塔がうっすらとブロウアップヒデキのワンシーンに写り込んでたw

上記ツイートのツリーからお借りした写真一部の拡大図。黄色で囲った箇所がソレです。
あと、橘公園通り名物の青白と赤白のテント(ロンブル)がチラッと見えますね(^^)


2021年現在は宮崎市郡司分にある宮崎第一高校ですが、この記事でもちょっと触れたとおり、1990年までは小戸之橋の城ケ崎側のたもとに建ってたんですよね。

なので、昭和50年だったら絶対あの特徴的な鉄塔が映り込んでるはず!と思って小戸橋南側と思われる付近を見てみたら、ありましたよー!

そして、この橋脚。

宮崎人には…

特にこの辺りをしょっちゅう通ってる方や、

平成元年あたりの宮崎で、テレビの放送終了直前、大淀川慕情を毎晩のように眺めていたみなさんには、見覚えアリアリではないでしょうか?(^^)

この2本足の橋は大淀大橋だし、その奥はJRの鉄橋、その更に奥…すなわち先述の鉄塔が見えるあたりにあるのは旧・小戸之橋だよね♪

手持ちの写真の拡大図。上記のお借りした写真と同様、大淀大橋の特徴的な2本足が写ってます。

なのでうん!これはもう、まず99.9%宮崎市の橘公園通り!

というか、ここまで大淀川沿いのホテル街の景色と一致する場所が他にどこかにあるのなら、是非とも行ってみたい♪

あったらもう親近感湧きまくりだよっヽ(*゚▽゚*)乂(*゚▽゚*)ノ

 

【考察2】ブロウアップ ヒデキの記事内のホテルの部屋

さて、【考察1】のとおり、ブロウアップヒデキのスケッチシーンのことを調べていた運営。

その際に、西城秀樹ファンの方々が、スケッチシーンとは別のブロウアップヒデキでのロケ地も探していること、

そしてそれに関連する当時の写真や記事も知ることとなりました。

先に書いたとおり、宮崎公演は1975年8月9日に宮崎市民会館(※現在の「宮崎市民プラザ」)で開催されたようなのですが、

当時の記事には、この公演が全国縦断フェスの中日だったことやスタッフさんのパーティが開催されたこと、

そこでスタッフさんを気遣い労う西城秀樹さんのとても謙虚な素顔や、大淀川でスタッフさんと夜釣りを楽しむ様子が書かれているとともに、

宿泊先の部屋での写真も載っていたのですが、

…これがですね、あまりに似ているんですよ。

この記事でご紹介した、ホテルプラザ宮崎(1975年オープン、2012年閉館)の部屋とベッドに…

手持ちのホテルプラザ宮崎の室内写真(1995年以前)がコチラ。リビングとベッドルームがある、かなり立派なお部屋♪

まず、ベッドヘッドのデザインが似てるんですけど、

それだけではなくて、

ベッド横の棚(サイドテーブルかな?)の配置や形、開けたドアから見えるベッドの角度、そして大淀川に面した窓から入っていると思われる光の加減などなど、

見れば見るほど似てる…

しかも宮崎公演は1975年8月9日。

ということはホテルプラザ宮崎のオープン年!

フェス会場の宮崎市民会館から目と鼻の先という申し分ない立地に出来たばかりの、当時、文字通り『ピッカピカ』のオシャレなシティホテルだから、

20歳のヤングな売れっ子アイドルが泊まるにもピッタリだ。いやでもまさか…

ブロウアップヒデキの存在を今日知ったばかりの運営が、そんな重大な発見することある???

でも、これも何かのご縁かもしれない。
ということで、数日悩んだ末に(←小心者ゆえw)ツイートしました。

とはいえ、運営が「似てる!」と思い込んでいるだけで、本当は似てないかもしれない。

そう考え、手持ちのホテルプラザ宮崎の写真と当時の記事のお写真の一部を重ねてみました。

 

…いや、やっぱ似てる。ベッドヘッドのデザイン『だけ』じゃない。

こんなに、光の入る角度とか家具の配置とかドア枠とか、それら全てが似ることってあるの!?

更にその日から数日後、改めて『ホテルプラザ宮崎のことでなにか情報は無いか?』とネットで調べてみたところ、

ある写真に出くわし、個人的に2つの意味でビックリしました。

昨年この記事を書く際、調べたときには気づかなかったのですが、

ネットで見つけたホテルプラザの写真には低層にバルコニーのような場所があり、観葉植物っぽい何かが置かれている気配があります。(←前回、気付かなかった自分にビックリしたw)

手持ちのホテルプラザの写真で説明すると、

黄色で囲ったこの部分!ココがバルコニーだった可能性が!!!

運営の手持ち写真は対岸から撮られた夜景なので、ご覧のとおり、この部分はあまり鮮明に写っておらず、件の写真を見るまではココがバルコニーだとは思っていませんでした(^^;

もっと言うと、個人的な記憶でもホテルプラザのこの高さにバルコニーが在ったイメージはなかったんです。お隣にあったホテル神田橋の横のサーカスハウスの建物と記憶がゴッチャになっているんだろうな…

でもネットで見つけた写真を見るかぎり、3階付近にバルコニーがあったんじゃないかと…

そこから更に調べていると、こちらのページに出会うことができました。

ページ内の写真を拝見したところ、『あったんじゃないか?』どころか、ホテルプラザ宮崎の3階付近、どう見てもバルコニーあるね!!!

で、思い出してほしいのが【考察1】のロケ地です。

西城秀樹さんは橘公園と大淀川(と思われる景色)を見下ろす場所にある白いバルコニーでスケッチしてらっしゃるんです。

まさか…【考察1】のロケ地も…ココ!?ホテルプラザ宮崎なの!?!?!?

ブロウアップヒデキの存在を知って数日しか経ってないこのタイミングで、前回、ホテル街の記事を書くときに探しても出てこなかった重要な場所のヒントが、なんでこんなに唐突に降って来るん??? (←ふたつめのビックリw)

いや、おちつけ。

沢山のファンの皆さんがずっと探しているにも関わらず特定できずにいる場所が、そんな簡単に見つかるとは思えん。

自分が浮足立ってるだけで、ヒントでも何でもない可能性も充分あり得る。

もっかい手持ち資料を確認し直そう。なにかもう少し手掛かりが…

……

…あったわ。

灯台下暗し。

記事の最初のほうでご紹介した橘公園通りの写真に写ってるこの白い柱と建物、

いままでずっと宮崎観光ホテル東館だと思い込んでいたのですが…これは、黄色で囲った入口の看板が、色も形も完全にホテルプラザ宮崎だわ。

そうなると、赤で囲ったあたりがバルコニー…しかも、白いバルコニー!

目の前には、赤白と青白の屋根(ロンブル)とフェニックス並木が特徴的な橘公園通りと大淀川。

そして大淀川に架かる橋たち。

件のスケッチシーンの風景と一致します。

ホテルプラザ宮崎は、先述のとおり2012年に閉館してしまったため、確かめることは難しいですが、

ここまで色んな条件が重なってしまうともう…個人的には、ホテルのお部屋の写真も、スケッチシーンのロケ地も、ホテルプラザ宮崎なのではないか?と考える他ない、かなぁ。

もちろんこれはあくまでも運営個人の考察で、確証はありませんが…

 

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【考察3】ブロウアップ ヒデキで西城秀樹さんが、ヤシ科の木がある道を歩くシーンのロケ地

さて、【考察2】の冒頭で『西城秀樹ファンの方々が、スケッチシーンとは別のブロウアップヒデキでのロケ地も探している』ことを知ったと書きました。

そのシーンがこちら。ウチの高校生がバリバリの宮崎弁でツイートしてすみませんw


このシーン、昭和50年にリリースされた西城秀樹さんの作品【至上の愛】がバックで流れ、そこから【至上の愛】の歌唱シーンへ繋がる仕様になっています。

早い話がMVですね♪

そして、【考察2】のホテル室内写真が載っている昭和50年当時の記事には、

宮崎に行ったとき、新曲『至上の愛』(8月25日発売)のイメージ・フィルムが撮影されたが、新曲は秀樹ならではのドラマチックな曲だ。

との記載があります。

記事の前後を読む限り、この『宮崎に行ったとき』というのは、西城秀樹さんがサマーフェスティバルの宮崎公演で来られた際のことなのだと思います。

また当記事の序盤、ブロウアップ ヒデキの説明で引用させて頂いたMOVIE WAKER PRESSの記事内にも、

宮崎の海岸。旅の合間に一日設けられたヒデキとスタッフの慰労の日。人気のない砂浜で、思い思いに夏を楽しむ。
引用元:MOVIE WALKER PRESS【ブロウアップヒデキ】より

という一文があるので、先述の道のシーンのロケ地が宮崎なのは、まず間違いないはず。

なにより、この中央分離帯にズラーッと並んだヤシ科の植物!宮崎人なら既視感を覚えずにはいられない光景ですよね。

なんせ、そこらじゅうにこういう道あるもんなぁwww

とはいえ、そこらじゅうにあるからこそ候補を絞り込まないと大変なことになります(^^;

まず、この中央分離帯のヤシ科の植物の特定から!

これ、件のシーンではまだ若い木なので、フェニックスなのかワシントニアパームなのか最初分からなかったのですが、葉っぱをよく見たら分かりました。

フェニックスの葉は長細いけど、

それと比べたら、ワシントニアパームの葉は丸っこい。

件のシーンの木の葉っぱは丸っこいのでワシントニアパームだろうな、と(^^)

なので、『ブロウアップ ヒデキ内【至上の愛】が流れる道のシーン』のロケ地を探すうえでの条件は、下記7つとしました。

■中央分離帯にワシントニアパームが並んでいる
海沿い、または高架や高い場所の道(歩道脇に建物が全く見えないことから判断)
■双方向とも片側2車線
■道はカーブしている
■車線の横に自転車も入れる歩道がある(先述の昭和50年の記事内、同場所での撮影と思われる写真で確認)
■歩道の柵はワイヤー4本を鉄柱で留める仕様の物

■歩道の後ろ側に松が沢山生えている(先述の昭和50年の記事内、同場所での撮影と思われる写真で確認)

『中央分離帯がワシントニアパームでカーブで海沿い』という条件で真っ先に思いついたのは、我らが南バイパス!(^^)

…だったのですが、これがいざ調べてみたら、片側2車線だけど自転車まで入れるような広い歩道が見当たらなかったり、逆に歩道があったと思えば周りは海とかなり離れた住宅街だったりwww

もちろん、海沿いでカーブで絵になる道といったら外せない、道の駅フェニックスサボテン園があった辺りや堀切の方も見てみたんですよ!

でも中央分離帯のワシントニアパームが無いんですよね…なにより片側1車線なんだよなぁ

そんなこんなで想像以上に苦戦しましたが、ようやくほぼ条件を満たす道をみつけましたよ^^

それは、一ッ葉有料道路の北線です。

まぁ、松がワンサカ生えてる海沿いでワシントニアパームが並んでるって言ったら、コッチを真っ先に思い浮かべるヒトの方が宮崎人なら多いよね(私ったらどんだけ南バイパス好きなんだよw)

一ッ葉有料北線のちょうど臨海公園(のなかでもサンビーチ・一ッ葉)の付近
上記2点ともに引用元:Googleストリートビュー

今回調べたなかで、運営が決めた7条件全てを満たす道は、この道だけでした。

あと、一ッ葉有料道路北線でも、

■歩道の柵はワイヤー4本を鉄柱で留める仕様の物
■道はカーブしている

という2条件を満たしている場所はそんなに多くはなかったです。

なので運営は、一ッ葉有料のこの辺りが件の道のロケ地かなと考えました。

更に7条件を満たしているだけではなく、

一ッ葉有料道路北線は、ロケが行われたであろう昭和50年の前年、昭和49年に開通したばかりだったので、

件のシーンで中央分離帯のワシントニアパームが小さいのも、ココなら納得がいく^^

ただ…もちろん、件のシーンとかなり違う点もあります。

まず歩道脇の丘のような場所(一ッ葉砂丘の一部と予測)が、上記の写真には写ってないですよね。

45年以上の歳月で松が成長し、覆い隠してしまってる可能性もあるかもですが、

なにより、この辺りは宮崎港や臨海公園を作るための工事(建物が多くなったとかそういうレベルではなく、人工ビーチや港を作るという大規模開発)で、昭和50年当時と比べたらかなり様変わりしています。

それが関係している可能性が高いだろうなという推測をしています。

あと、もうひとつ。件のシーンの道と上記写真でかなり違っている部分があります。

それは、カーブの角度。

上記写真が緩やかなカーブなのに対して、件のシーンの道は急カーブに見えますし、何よりも、一ッ葉有料道路北線って急カーブしている場所があんまりない気がするんですよね。

でも、ほかの条件は満たしてるしなぁ…うーん…

というわけで、ちょっと実験してみました。


上記2つの矢印、同じものなのですが、
1枚目は矢印のすぐ手前で撮ったもので、
2枚目はかなり離れた場所からズームで撮ったものです。

長さや角度が違うのがお分かりいただけるかな、と。

他の場所でも試してみました。

道のヒビ割れ(赤ライン)のすぐ手前で、マンホール(赤)と自販機(青)に向かって撮った写真。

白ラインで示したとおりカーブはほぼ無いように見えますが、

道のヒビ割れ(赤ライン)からかなり離れた地点で、マンホール(赤)と自販機(青)に向かってズームで写真を撮ると、

ご覧のとおり、先ほどは無かったはずの急カーブが出現しました。

 

こちらも同じく、1枚目ががヒビ割れ(赤)のすぐ手前で撮った写真、
2枚目がかなり離れた場所からズームで撮った写真です。
どちらもベンチ(緑)に向かって撮りました。

全く同じ場所なのに、カーブの角度が全然違うのがお分かり頂けるかと思います。

さて、先ほどの一ッ葉有料道路北線の写真、あれはGoogleストリートビューのものなんですが、ストリートビューは専用車の屋根に設置したカメラで撮影されています。

要は、被写体(道)のすぐ近くでリアルに近い画を撮っているんですよね。

なので、現地で見るとおりの緩やかなカーブに写っているのだと思います。

件のシーンの撮影は、あたりまえですが、ストリートビュー専用車のように、車道のド真ん中で撮ったわけではないはず。

そしてある程度、被写体(西城秀樹さん)から離れた地点で撮影したんじゃないのかな?

だとしたら、カーブの角度がかなり違って見える…『錯視』が起きている可能性があるんじゃないかな?

と、推測しました。

この推測が当たっているかどうかは分かりませんが、

…至上の愛の歌詞のフレーズ『海が見える見知らぬ街へ』の海が、一ッ葉海岸だったらステキだなぁという妄想も込めて(^^)

 

運営の勝手な考察をここまで読んでくださった方、ありがとうございます。

当サイトの運営陣は、西城秀樹さんのアイドル絶頂期リアル世代の『少しあとの世代』で、当時の事で知っていることは少ないです。

あの有名な国民的ドラマ【寺内貫太郎一家】ですら、小林亜星さんとの親子喧嘩のシーン以外は朧げな記憶です。

だけど幼い頃、リアルタイムでY.M.C.Aは踊り散らかしていました。

バーモントカレーのCMに至っては、どストライク世代です。

でも、それだけではなく、平成元年あたりの宮崎の高校生になる少し前に、テレビから流れていた【抱きしめてジルバ】が、個人的に大好きでした。

あまりの歌唱力と表現力の高さに、洋楽カバーであることを、かなり後になるまで気付くことがありませんでした。ワム世代でいろいろ聴いてたのにねー

そして【六甲の美味しい水】のCM。
とくに1990年に流れていたバージョンでの、柔らかく優しく奥行きある表情がとても好きでした。

日本画をバックにスーツ姿でグラスを持つ、メガネを掛けた西城秀樹さんを当時はじめて見たとき、ドキッとしたのを思い出します。

それまで運営が抱いていた『ヒデキといえば元気でワイルド』というイメージがイッキに覆されたからです。

「西城秀樹って、こんなに知的で上品な雰囲気を持ってる人なんだ…」と初めて認識した瞬間でした。

あれは本当にイイCMだったなぁ(しみじみ)

と、自分語りが長くなってしまいましたが(笑)今回のロケ地考察は、そんな運営の半分、『願望』です(^^)

西城秀樹さんのことも、ブロウアップ ヒデキのことも、断片的にしか知らない未熟者ですが、

日常かつ大好きな宮崎の風景、

それこそ、柔らかく、優しく、穏やかで、でもたまに憂いもみせる…そんな奥行をもつ、宮崎の風景のなかに、

ブロウアップ ヒデキのロケで西城秀樹さんがいらしていたのだとしたら、

それは本当に嬉しいなぁって、そう思いました。

以上、勝手考察でした。
m(_ _)m

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POSTED COMMENT

  1. わかめ より:

    当時宮崎在住の西城秀樹ファンです。
    ブロウアップの時はプラザホテルに泊まっていました。他の都市でもプラザホテルに宿泊していたので、宮崎でもそうじゃないかと予測されていてその通りだったんです。私もホテルまで見に行きました。
    ブロウアップ以降は宮観にも宿泊していました。

    あの道路は当時から一ッ葉だと有名でしたよ。

    • その② より:

      コメントありがとうございます(^^) 

      なんと!
      『ブロウアップヒデキ宮崎公演時の宮崎』をファンとしてリアルに体験されたのですね!!
      しかも、あの日の夜、プラザに出向かれていたなんて!!!

      これ以上ない、最強の情報を教えて下さったこと、
      心から感謝致します。

      西城秀樹さんが件のツアーで宿泊していたのが各地のホテルプラザだったとは…!

      大阪・神戸・愛知のホテルプラザと宮崎のホテルプラザは運営会社が異なるので全くの盲点でした。
      本当に貴重な、当時の情報をありがとうございます!

      そしてなにより、当時のリアルタイムのファンの皆さんのあいだでは、
      すでに件の道路が一ッ葉だと有名だったなんて…!

      当時を知るファンの方の声…最強の証言です(;▽;)
      教えて頂けたこと、繰り返しになりますが、本当に感謝の気持ちで一杯です。

      今回の記事を書くにあたり、

      公演から45年以上の歳月が経った現在、
      件の道をはじめ、ブロウアップ内の様々なロケ地をずっと探しておられるファンの方々が沢山居られることを知りました。

      頂いた証言は、そのファンの方々がずっと探しておられた情報だと思います。

      このコメント欄に、わかめさんからこの貴重な証言を書いて頂けたことを含め、
      本当に今回の記事を書かせて頂けたご縁に感謝致します。
      書くことが出来てよかった…つくづくそう思います。

      そして、
      西城秀樹さん、75年以降に来られた際には宮観にも宿泊されていたのですね。
      以前のように自由に旅行出来る状況になったら、ファンの皆さんに宮崎、そして宮観に来てもらいたいなぁと願っております(^^)

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