先日、youtubeで宮崎のレトロCMを見ていたら、
超なつかしいメロディが流れてきました。
♪ホ・テ・ル~ 神田橋ぃいい~♪
やだ、オシャレカッコイイCM♪(*^∀^*)
平成元年あたりには、このホテル神田橋をはじめ、
沢山のホテルが大淀川沿いに並んでいましたよね。
今回はその頃の大淀川沿い、橘公園通りのホテル街を覗いてみます^^
平成元年あたりの橘公園通りはこんな感じだった
2020年現在はマンション群がならぶ橘公園通りですが、
1990年前後の地図ではこんな感じ。
橘橋から大淀大橋までの区間、ホテルがずらりと並んでた!!!
しかもビジネスホテルとかではなく、ほぼ全て観光ホテル!
めっちゃ華やかな眺めでした。
ホテル神田橋とサーカスハウスのこと
橘橋から橘公園通りに入って最初に見えるホテルがホテル神田橋でした。
2006年(平成18年)11月19日、
その歴史に幕を閉じましたが、
明治時代創業という
県内でも相当な老舗であり、
大淀川湖畔のホテルのなかでも重鎮だったんですよね。
ホテルになる前は【神田橋旅館】という宮崎市を代表する旅館で
著名な方々も多く宿泊されていたそうです。
それもあってか、客室も和室中心で
落ち着いた大人の雰囲気が魅力的なホテルでした。
サウナもある展望浴場は、
お風呂に入りながら大淀川を一望できるというゴージャスっぷり!
きっと夕暮れどきの眺めとか最高だったんだろうなぁ…
展望浴場、何階にあったんだろう…目の前にある大淀川を眺めながらのお風呂は気持ちよかっただろうなぁ
客室は和室中心とはいえ、もちろん洋室もあったんですよね。シックなお部屋だ。
そして、ホテル神田橋といえば、
CMでもウエディングドレスとタキシードの新婚さんが出演していて、
結婚式のイメージありましたよね♪
♪ホ・テ・ル~ 神田橋ぃいい~♪
平成元年あたりのホテル神田橋の2次会会場、バブルの名残を感じます。
ゴージャスだわー
同じく平成元年あたりのホテル神田橋の披露宴のお料理。『ザ・披露宴!』って感じでテンション上がりますw
さらに、披露宴会場はまさに『ザ・披露宴!』100%!!!ウエディングケーキがデカいw
高校生くらいの頃に抱いていた結婚式のイメージが具現化された感じの会場です^^
サーカスハウス
ホテル神田橋の隣にあったサーカスハウスは、
赤レンガの壁がオシャレなレストランでした。
そうそう!
コブクロの小渕健太郎さんが宮崎県立工業高校に通っていた学生時代、
日々バイトに励んでいらしたお店でもあります♪(^^)
このお店、ホテル神田橋の関連施設だったんですよね。
店内の写真は無かったけど、平成元年あたりのお店1階部分の写真は持ってましたw
1階部分は駐車場みたいな造りのスペースがあったような…
そしてお店の入口は1階だけじゃなく、階段で上がった2階にもあった記憶が…窓からの眺めがステキだったなぁ♪
平成元年あたりではまだ珍しかったサラダバーがあり、とても魅力的でした。
サラダバーにはセルフで作るソフトクリームも付いてて、食べ放題だったんですよね!
これも当時はめっちゃ珍しくて、超嬉しかったなぁ♪
ハンバーグが大人気だった記憶もあります。
そんな、オシャレで美味しい人気店だったサーカスハウスですが、
多くの人に惜しまれつつ、2007年(平成19年)10月後半にお店の歴史に幕を下ろしました。
あの、大淀川を楽しめる特等席で
もう一度美味しい料理とサラダバーを食べたかったなぁ…
ホテルプラザ宮崎のこと
大淀川沿いで特に目立つホテルだったのがホテルプラザ宮崎!
※1974年(昭和49年)10月17日定礎、1975年(昭和50年)オープン、2012年(平成24年)11月30日閉館
ちなみに、
設立したのは「ヨドコウ~♪」のCMジングルでおなじみ、
(株)淀川製鋼所でした。※2007年(平成19年)にホテル事業から撤退
だけど当時は
そんなことに全く興味はなく、
【ホテルプラザ】なのか【プラザホテル】なのか
正式名称もぜんぜん気にもしていなくて、
単に「プラザ」って言ってましたw
ホテルのてっぺんに書いてあるPLAZAのロゴが
ソニープラザのロゴと似てるのも都会的に感じて、
平成元年あたりではいちばん憧れてたホテルだったなぁ…
ホテル群のなかで最も高い14階建てのビルでした^^
高層ビルというだけではなく外観も都会的で、
夜景のなかのプラザは一段とカッコよかったです。
ガラス張りのエレベーターがまたカッコよかったんだ!
井上陽水さんの【リバーサイドホテル】が似合うこのアーバンな雰囲気に、高校生のころ憧れてたなぁw
お部屋は全室上品な感じで、和洋どちらもあったとのことですが、やはりプラザにはオシャレな洋室が似合う!
上記写真の【スカイレストラン・クラウン】はプラザ最上階の14階にあり、
窓からの眺めは最高だったそうです。
そりゃそうだ!
大淀川はもちろんのこと、宮崎市内の夜景も14階からなら一望出来るもんね。
さらに、夜にはピアノの生演奏も行われていたのだとか…なんとゴージャスな!
ほかにもスカイバー【トパーズ】や
サパークラブ【ラコンテ】等、
名前からしてオシャレな施設もあり、
【ラコンテ】には七色の噴水もあったとのこと。
…サパークラブに七色の噴水とか、
当時の高校生からしたら、トレンディドラマの世界ですよ。
プラザすげぇな…外観だけじゃなく、内容もやっぱオシャレだったのか
いちど行ってみたかったです、サパークラブ!
(大人になってからも行ったことないw)
宮崎観光ホテルと新館のこと
2020年(令和2年)の現在も絶賛営業中の宮崎観光ホテル。
宮崎人には「みやかん」という略称で呼ばれていますよね♪
※1954年(昭和29年)オープン
橘公園通りのホテルが、ひとつまたひとつと減っていくなか
ここだけはシッカリと生き残ってくれました。
他のホテルたちとはちょっと違う事情がありましたしね…
というのも、宮観は1993年(平成5年)に東館がオープンしたんですよね。
これが強かった。
1993年頃の写真です。宮観はこの美しいグリーンの外観が特徴的だしステキ♪右の高いビルが、当時オープンしたばかりの東館。
1990年前後はまだ建設中で、地図には東館ではなく【新館】と記載されていました
他のホテルたちが年を重ねて行くなか、
平成5年にオープンした宮観東館は飛びぬけてオシャレ&ゴージャスで
オープン当初は特に、
県外からの観光客の方々だけではなく、
地元民でも、
「結婚式するんだったら宮観でやりたい!」とか
「オシャレな宮観のレストランでご飯食べたい!」とか、
憧れのホテルとして熱い視線を送っていました。
この頃はシーガイアのホテルオーシャン45(現シェラトン・オーシャングランデ)もまだ無かったので、
ホント『宮観択一!!!』って感じだったんですよねw
実際、外観だけではなく内装もめっちゃオシャレで、
館内の家具は、全てイタリア製
ロビーはヨーロッパを意識した明るく広いデザイン
各レストラン&ショップも洗練された内装…
という感じで徹底されており、特に若い女性からの支持は絶大でした。
あと、東館オープンと同じ頃、
宮観からすこし歩いた裏通りに、宮観のベーカリーがオープンしまして、
『ホテルは無理でもココなら行ける!』って感じで、
貧乏学生だった運営はよく行ってましたw
小さめのお店だったけど内装が明るくオシャレで、
デニッシュとかクロワッサンが美味しかったなぁ…
ちなみに、
現在は西館(←東館と同じくめっちゃオシャレ)1Fにベーカリーがありますよね♪
当然、オシャレで高級感のあるステキなベーカリーでおススメです^^
(YouTubeより・1998年頃に流れていた「宮崎観光ホテル」のCMです)
ホテル臨江亭とニュー高千穂のこと
申し訳ないことに、
実は、このふたつのホテルのこと思い出せないんです。
なのですが、何故か、
どこかでこのふたつのホテルを見たおぼえが…
…
……
………あ。
分かった、アレだー!!!
上記写真2枚ともにyoutubeより引用
このふたつ、何の映像かお分かり頂けるだろうか…
平成元年あたりの宮崎の高校生だった皆さんなら
キット知っているであろうアレですw
そう、大淀川慕情のPV!
あれの1番から2番までの間奏のときの映像に
このふたつのホテルが映ってたー!!!
入ったこともないし、建物の前をチャリで何度も通ってたはずなのに
思い出せなくて申し訳ないのだけれど…
でも、なんかどこかで見た記憶があると思ったら、
宮崎人の、魂の一曲のワンシーンを彩ってくれていたとは!
ビックリしたし感慨深かったです^^
ホテルフェニックスと一ッ葉にあったふたつのホテルフェニックスのこと
ホテルフェニックスは、ココまでご紹介したホテル群とは違い、
大淀大橋の下をくぐった先にありました。
1966年(昭和41年)3月にオープンし、
2001年(平成13年)9月に閉館。
そして、2019年(平成31年)4月に解体…
2020年の今はもう、
その姿は消えてしまいましたが、
平成元年あたりでは、大淀大橋を通るとき必ず視界に入る、
大きな華やかなホテルでした。
夏の屋上ビアガーデンは人気で、CMもやってましたよね♪
南側に面する客室からは、大淀川だけではなく、海も一望出来たとのこと。ロケーション抜群だったんだなぁ
明るく柔らかい印象のインテリアでまとめられた客室だったんですね。陽当たりもバツグンだな^^
レストランは洋食【フェニックス】の他に和食【しょうぶ】があり、
どちらも美味しかったとのこと
ホテルフェニックスは、
平成元年あたりの宮崎で
知らない人はいなかったであろう大企業、
【フェニックス国際観光】が経営していたホテルでした。
そして同企業は当時、
一ッ葉地区でサンホテルフェニックスと、
シーサイドホテルフェニックスも営業していました。
サンホテルフェニックスのこと
1973年(昭和48年)オープン、2015年(平成27年)6月30日閉館。
43年間愛されたホテルでした。
広くてゴージャスなロビー
海が見えるレストラン・ル・シェルは、本格的なフランス料理のメニューもあったとのこと
客室は和洋どちらも広くてゆったり寛げるお部屋だったんですって♪
お風呂はサウナはもちろんのことジャグジーも完備のゴージャスっぷり
売店にはダンロップフェニックスゴルフトーナメントのマークが!
シーサイドホテルフェニックスのこと
途中からシーサイドホールという名前になりましたが、
平成元年あたりはシーサイドホテルフェニックスでした。
1971年(昭和46年)定礎。オープンも同年かな…2001年(平成13年)閉館
開放的で明るいカフェテラスがあったんだなぁ
こんなに色んなレストランが入ってたんですね。ホテルで食べる鉄板焼や回らないお寿司…リッチだわ~
更に1993年(平成5年)には同系列がオーシャンドームやホテルオーシャン45※平成6年(1994年)10月31日オープンを擁する、フェニックス・シーガイアを誕生させました。ただ、
以前この記事の終盤でも触れましたが、
このシーガイアの目玉ともいえるオーシャンドームが
そこからどんな道筋を辿ったか…
宮崎の皆さんはご存じだと思います。
ここでは詳細は省略しますが、
その影響を受け、ホテルフェニックスだけではなく、
シーサイドホテルフェニックス※途中からシーサイドホールに改名も
2001年(平成13年)12月に閉館しました。
サンホテルフェニックスは、それらふたつのホテル閉館後も
一ッ葉の老舗観光ホテルとして営業していましたが、
2015年(平成27年)6月30日に閉館。
そして翌2016年(平成28年)
サンホテルフェニックス、
シーサイドホテルフェニックス、
双方ともに解体されました。
平成元年あたり、
この3つのホテルは本当に華やかな存在で、
とてもじゃないけど、こんな道筋を辿るとは想像も出来ませんでした。
解体後の更地を見て、
ひとつの時代が終わったなと感じました。
と、同時に
新たな時代の始まりも感じました。
この更地たちに、
次なにが出来るのかまだ分かりませんが、
どうか、沢山のヒトに愛される物が出来ますように。
謎の…ホテル2000年?
大淀川沿いの観光ホテル群の話をしていたはずが、
うっかり、一ッ葉の方まで話が広がってしまいました^^;
再び大淀川沿いに話を戻しますw
さて、平成元年あたりの大淀川沿いの観光ホテル群、
その華やかな建物たちに紛れて
異彩を放つホテルが存在していたのを覚えていらっしゃるでしょうか?
在りし日の、あの辺りの様子 ※2021年9月13日追記
その名は、ホテル2000年
平成元年あたりの高校生たちのあいだでは有名だった、この都市伝説。
どんな部屋だったのか?
そもそも一泊30万円の部屋は本当に存在したのか?
結局、真相が分からないまま
2000年は、いつしか別のホテルに変わってしまいました(^^;
本当のところ、どうだったんだろうなぁw
大淀川沿いのホテルは花火に照らされていたよね
平成元年あたりの宮崎の高校生たちにとって、
普段は縁のない、大淀川沿いの観光ホテル群でしたが、
夏休みシーズンは、その一帯で
毎週金・土の夜8時半から15分間ほど打ち上げ花火があがり、
それがとてもキレイでワクワクしていました。
そして“夏の夜まつり”や“まつり宮崎”などのときは、
橘公園通りにズラリと屋台が並び、
屋台の灯りと観光ホテル群の灯りとで、
とても賑やか華やかな光景が広がっていました。
箸巻きや牛串なんかを食べながら
目の前にそびえ立つホテルを見上げるのは、
非日常感があって楽しかったなぁ…
平成元年あたりの“まつり宮崎”のワンシーン。
宮崎市の夏を代表するこのお祭りは、この頃も現在と同じくとても賑やかで楽しかったです♪
いまの橘公園通りの風景は、この頃とはかなり変わったし、
これからも時代に合わせて人々が望む方向へと、柔軟に変わっていくだろうけど、
あの、夏の花火に照らされていた、
キラキラ華やかなホテル群は、
それはそれで
とてもステキだったので、
忘れないように
ずっと記憶に留めておこうと思います(*´ω`*)