現在と同じ部分も違う部分もある平成元年あたりの宮崎。
今回は2023年現在の地図を見つつ、1991年の宮崎西高校の周辺を散歩してみましょう♪
宮崎西高校だった場所の現在は?
1991年に宮崎西高校だった場所は、2023年現在も変わらず宮崎西高校のままです。
しかし2007年に付属中学校が併設されましたので敷地内の校舎等は当時と比べてかなり変化していると思います。
宮崎西高校は1974年(昭和49年)開校なので、平成元年あたりの宮崎の高校生たちとほぼ同い年ということになります。
その頃の市内には普通科のある公立高校は「大宮高校」と「宮崎南高校」の2つしかなく、『このままでは増加する大学進学希望の生徒たちの受け入れ態勢が間に合わなくなってしまう』ということで開校に至ったとのこと。
1974年といえば第二次ベビーブームで多くの子ども達が生まれた時期ですから、宮崎でも『今後スクスク育って15年後には高校生になる幼子たちが困らないように!』との思いで作られたということですね(^^)
そう、創立からまだ15年程しか経っていない平成元年あたりでも宮﨑西高校が超進学校だということはすでに知れ渡っていました。
それが宮崎西高校。
当時の高校生たちも「西高」と呼んでいましたよ。
卒業生の方々のお名前を拝見してもさすが名門校!という感じなのですが、まさかICU(国際基督教大学)の学長さんまでおられるとは思いませんでした。西高、凄すぎる…。
そして西高は単に賢いだけではなく、めちゃめちゃクリエイティブな方々が卒業している学校でもあります。多すぎて書ききれないので代表的なお二人を挙げてみますと、
ドラマ&映画化もいくつもされているヒット作連発中の漫画家、東村アキコさんも卒業生のおひとりです。県民には、宮崎でロケが行われた大人気ドラマ『ひまわりっ!』そして2023年春から連載スタートの『まるさんかくしかく』の作者としてもおなじみですよね♪
『まるさんかくしかく』は東村アキコ先生が小学生だった1985年の宮崎市(しかも多分、西高からもけっこう近い場所)が舞台のギャグマンガでめっちゃ面白い!オススメです^^
更に、カイジのスピンオフ『中間管理録トネガワ』『一日外出録ハンチョウ』『上京生活録イチジョウ』の原作者、萩原天晴さんも西高の卒業生!めっちゃ面白い作品なのでハマった方も多いのでは?(^^)
いや~…西高、つくづく凄いです。
さて、話が横道に逸れてしまいましたがここからは1991年に西高付近にあったお店をちょこっと覗きに行ってみましょう。
ハットリ―食品館だった場所の現在は?
1991年にハットリ―食品館だった場所では、2023年現在マツモトキヨシが営業中です。
ハットリ―(のちのフ―デリー)といえば個人的にはUMKのそばにあったお店が思い浮かぶのですが、大塚にもあったんですね。
当時から高級スーパーだったので、オシャレや流行に敏感な生徒さんたちは放課後等に寄ったこともあったのでは?
ちなみに2023年現在はマツモトキヨシが営業中ですが、少なくとも2011年まではミドリ薬品の看板が立っていたのをグーグルストリートビューで確認することが出来ました。
カラフルな扇型の看板、懐かしい…コチラも寄ってた方多いだろうなぁ
百姓うどんだった場所の現在は?
1991年に百姓うどんだった場所では、2023年現在も変わらず同店が営業中です。
超ジャンボなかき氷で観光客の方々にもおなじみの百姓うどんは、宮崎うどんの名店!
ショーケースに稲荷寿司やおにぎりのお皿が並ぶ佇まいも、お財布にやさしいお値段も、嬉しいお店ですよね(^^)
工業の『吉長(現・おくの)・豊吉』、商業の『うどん むぎ』と同様に西高の生徒さんたちにとって馴染み深いうどん屋さんのひとつだろうなと思います。
今後もずーっと頑張ってほしいお店ですね♪
寿し勝大塚店だった場所の現在は?
1991年に寿し勝大塚店だった場所は2023年現在、空き店舗が存在しており、空き店舗の場所は閉店するまで楽笑という焼肉兼居酒屋さんだったようです。
この楽笑は『寿し勝本店グループ』のお店だったとのことなので、どこかのタイミングでお寿司から業態を変えて営業されていたんだろうなぁ…
あと、ここには書店があったような痕跡もみられますので、ひょっとしたらお寿司→書店→楽笑という経緯を辿っている可能性も…?
1990年代の寿し勝の広告
この住所の本店は2023年現在も絶賛営業中ですよね^^
こんにちは電器だった場所の現在は?
1991年にこんにちは電器だった場所には、2023年現在も変わらず同店が存在しています。
大型家電店すらも閉店してしまうことが珍しくない現代、めちゃめちゃ貴重な個人営業のお店だと思います。
しかも佇まいからあふれる近未来っぽさが平成レトロな感じでイイ!眺めてるだけで平成元年あたりにタイムスリップ出来る名店ですね(^^)
更に、これはひょっとして平成元年あたりの高校生世代はキット知っているであろう、夕方のアニメの時間帯CM『宮崎東芝会』のお店では!?
これからも末永く頑張ってほしいなぁと思います♪
ハッピーマート乱橋店だった場所の現在は?
1991年にハッピーマート乱橋店だった場所では、2023年現在宮崎市大塚地区地域包括センターが営業中です。
ですが、建物自体はハッピーマートの頃と同じなんじゃないかな?と思います。
1991年当時の西高だと、ココがいちばん近いコンビニだったのではないでしょうか?
現在のように3大メジャーコンビニがまだ上陸していなかったあの頃、ハッピーマートは本当にありがたい存在でした。
西高の生徒さんたちも放課後寄ってたんじゃないかなぁ…?
ちなみに、ハッピーマートから地域包括センターに変わるまで、少なくとも2つのお店を間に挟んでいます。
ハッピーマート→(ひょっとしたらこの間に他店?)ケーキ屋さん→ソーラーパネル等の店舗→地域包括センターという順番なのですが、
ケーキ屋さんはくるみ田楽でお馴染みだった谷清栄堂さんが経営していた茶菓心・ちゃちゃぷーだったんですね…カムバック!谷清栄堂さん(;;)
パン屋さんに書店…あの店この店の現在は?
長い坂道や柳ヶ迫池に囲まれるような、ちょっと山の上の要塞みたいな場所にある西高ですが、大塚台や生目台に江南など沢山の住宅団地に囲まれた地域でもあるので、1991年当時にもすでに色んなお店がありました。
■塘弁当(2023年現在は住宅)
■ヤマザキパンの店ぱぴぷぺぽ(2023年現在も建物は現存)
■文具の太陽堂(2023年現在は住宅)
■理容ゼロ(2023年現在も営業中)
■北海道ラーメンあじふく(2023年現在も営業中)
■パンとお菓子 プチ パナリー(2023年現在も建物は現存)
■酒亀(ヤマザキショップ?)(2023年現在も建物は現存)
■Book’sきたむら(2023年現在は住宅)
■山崎パン JMS クロワッサン(2023年現在も建物は現存)
■寿ミート(2023年現在も営業中)
こうして見てみると、西高付近、ヤマザキショップと思われるお店多かったんですねー!
時代の流れとともにお店が閉じてしまうのは仕方のないこととは分かっているものの、
やはり寂しいものがあります。
ですが当時、学校付近で買って食べたパンのことやそのときの風景や思い出というのは、きっといまも多くの生徒さんたちの思い出の中で生きているだろうなと思います。
ヤマザキショップ、以前より少なくなっちゃってるけど今後も在ってほしいお店です。
平成元年あたりの宮崎市と令和の宮崎市ー日常に密着した小さなまちかどにも当時と現在では様々な違いがありますが、
どちらも『誰かの思い出』であり、『これから思い出になっていく』場所。
今後も記憶のなかを散歩しながら、すこしずつ大切に記録していこうと思います。
ですが、どのまちかどにも運営陣が拾いきれない沢山の思い出が隠れているはず…
「当時この周辺にはこんなお店もあったよ!」などの情報や和やかエピソードがありましたら、是非ともコメント欄にお寄せくださいませ♪
記事を読んでくださっている皆さんと、平成元年あたりの様々な宮崎を共有できたらとても嬉しいです(^^)