現在と同じ部分も違う部分もある、平成元年あたりの宮崎。
今回は2023年現在の地図を見つつ、1991年の宮崎女子高等学校&日向学院周辺を散歩してみましょう♪
宮崎女子高等学校と日向学院だった現在の場所はどうなっている?
宮崎駅東口の近くにある、二つの私立高校。宮崎女子高等学校と日向学院。
1991年に宮崎女子高等学校と日向学院があった場所は、2023年現在も変わらず宮崎女子高と日向学院のまま…といいたいところですが、
両校ともそれぞれ、平成元年あたりは宮崎市内唯一の『女子高』『男子校』だったのが、2023年現在どちらも『共学』となっており、
宮崎女子高にいたっては共学になったことから現在では、「宮崎学園」と名称が変わったことが何より大きな違いだと言えますね。
- 宮崎女子高等学校→2003年に共学&名称変更(宮崎学園高等学校)
- 日向学院→1996年に共学
なお平成元年当時、宮崎女子高等学校の方は『女子高』と呼ばれていたわけですが、共学になり名称が変わった今でもつい、宮崎学園のことを『女子高』と言ってしまう!?そんな人はおそらく、『女子高』だった時代の印象が強く残っている世代ともいえるでしょうね。
また今の宮崎学園の校舎は、共学になった時に完成した建物という話があることから、
- 宮崎女子高=円形校舎
というイメージが強い人もいるのではないでしょうか?
かどや昭和店があった場所の現在は?
平成初期まで宮崎市を中心にお店がいくつもあったスーパーかどや。
なかでも宮崎女子高からちょっと南側の、昭和町交差点の付近には、わりと大きめのかどや昭和店があり、2Fにはレストランまであったということなんですが、
2023年現在は、その面影はまるでなく…その付近の今はアパートとなっていますが、その1Fにはコミックレンタル輝ららと大衆理容があるので、
スーパーかどやはない今の高校生たちは、また別の目的でこの場所に通っているのかもしれませんね。
またこの近くには、学生の強い味方!?キッドがあったことも、合わせて伝えておきたいところですし、90年代にはちょっとブームにもなった、熱帯魚を取り扱った専門店岡本熱帯魚センターがありました。(なお岡本熱帯魚センターは現在建物は解体されてありません)
パーティ(ホットサンド&クレープの店)だった場所の現在は?
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宮崎女子高のそばにあったホットサンドとクレープのお店パーティは、「宮崎学園」になった2023年現在も同じ場所で営業されています!
確か以前は曜日でクレープが「100円」とかいう日があり、現在はどうなのか?分かりませんが…そうでなくても、学生さんの財布にやさしいリーズナブルな値段なので、長年付近の学生に愛されているんだろうなーっていうことが想像できるし、
また平成元年あたりに、宮崎市でクレープの専門店というお店自体、きっと珍しかったのでは?なんて思いますよね。
学校帰りにここでクレープとか買って、中央公園で食べながらお喋りする―なんていうことをやっていた人もきっといるだろうなあ〜
(総合体育館前)グルッペだった場所の現在は?
宮崎市総合体育館の前にあったレストラングルッペ。ここは現在セブンイレブン宮崎総合体育館前店となっています。
グルッペはかつて、宮崎市内のあらゆるところにあったファミリーレストランでしたが、気付いたら名称が変わったり、店舗がなくなっていたりして…ここのグルッペも、その後すぐに「CASA」になったという歴史がありますが…
この場所にファミレスがあったということは、少なくとも平成元年あたりの高校生たちもここで、友達や家族と食事を楽しんでいたと思います。
またグルッペの南側にはお菓子の店赤い風船があり、特別な日にはグルッペで食事して、帰りに赤い風船でケーキを買った、という思い出がある人もいるかもしれません。(なお、赤い風船はずいぶん前から閉店されています…)
ゴローズパークサイド店があった場所の現在は?
宮崎市の有名なケーキ屋さんといえば、ゴローズがありますが、ゴローズは平成元年あたりはとにかく勢いがあって、宮崎駅東口のところにゴローズパークサイド店という、オシャレな店舗がありましたね!
ですが…この場所は現在、病院となっています。
なおこのパークサイド店があった場所の、道路を挟んだ向かい側のビルには、
- 1F:なかた書店
- 2F:大和湯
というのがあったということなので、当時の学生はこの書店に立ち寄ったり、時には銭湯に入ったり…していたのかもしれませんね^^
平成元年あたりの宮崎女子高&日向学院付近の様子について
さて平成元年あたりの宮崎駅付近といえば、まず思い出すのが昭和の終わり・1987年に宮崎科学技術館がオープン。
この時も大きな話題になりましたが、なんといっても!1993年に駅がリニューアルしてフレスタがオープンしたことでも大きな注目が集まりましたよね。
とはいえ現在のアミュプラザみやざきとは比べ物にはならないくらい、規模は小さかったわけですが、それでも!列車に乗る習慣の少ない宮崎の学生にとって、当時フレスタのオープンというのは、駅に行く機会を増やすのに貢献した出来事とも言えそうです。
しかもそのあと1995年にギャゼットがオープンしたことで、当時宮崎駅付近が大きく生まれ変わったこともあって、この当時女子高&日向学院に通っている人は、他校の生徒にちょっと羨ましがれるような学校だったのかもしれませんね。
平成元年あたりの宮崎市と令和の宮崎市ー日常に密着した小さなまちかどにも当時と現在では様々な違いがありますが、
どちらも『誰かの思い出』であり、『これから思い出になっていく』場所。
今後も記憶のなかを散歩しながら、すこしずつ大切に記録していこうと思います。
ですが、どのまちかどにも運営陣が拾いきれない沢山の思い出が隠れているはず…
「当時この周辺にはこんなお店もあったよ!」などの情報や和やかエピソードがありましたら、是非ともコメント欄にお寄せくださいませ♪
記事を読んでくださっている皆さんと、平成元年あたりの様々な宮崎を共有できたらとても嬉しいです(^^)