東村アキコさんがご自身の小学生時代をモデルに描いている、『まるさんかくしかく』。
話の舞台が「1985年(昭和60年)の宮崎」ということもあって、前回に引き続き第19話目を堪能したところで今回も、【つい小ネタに反応してしまう運営のコーナー】をお送りしたいと思います。
本編を堪能してから読んでいただいても良いし、「漫画は気になるけど読んでいない」という方も、良かったら先にこのコーナーに目を通していただき、東村アキコさんの『まるさんかくしかく』に興味を持ってくれたらいいな、なんて思っています(*^^*)
※この先は作品のネタバレを含みますので、ご注意ください…
「まるさんかくしかく」第19話の小ネタに反応しちゃう運営のコーナー※ネタばれ注意
【 #まるさんかくしかく 19話🌴】
本日発売の #ビッグコミックオリジナル 5号に最新話が掲載中!
今回は給食にまつわるお話🍚
懐かしのメニューはもちろん、給食を早く食べて昼休みの遊び場所を確保するために死力を尽くした記憶、ありませんか?給食配り大戦争、ぜひ🟡🔺🟩#東村アキコ #1985年 pic.twitter.com/HKsqJV1btD
— 東村アキコ『まるさんかくしかく』公式(1巻発売中) (@marusankaku1985) February 20, 2024
今回のテーマは「給食は戦争だ事件!」となっていますが、その内容の随所に当時の時代背景が伺える小ネタが今回も満載でした(^^♪
では、すこし下にスクロールしたところから始めますよ~
さん
に
いち
■今回の扉絵をすぐに理解できた方は運営と握手だ
いつも宮崎色豊かな「まるさんかくしかく」ですが、今回は扉絵から宮崎全開フルスロットル!見た瞬間に「コレはwww」となってしまいました^^
しかしカラーならともかく、モノクロのこの絵が何なのかを理解するのは意外と他県の方には難しいかもしれないですね~
瞬時に理解できた方は運営と握手だ!
■先生たち、何故か他クラスに勝ちたがるよね!
これは「昭和あるある」なのか、それとも令和現在もそうなのか、ちょっと分からないですが、先生たちって学校生活の細かい事でもなんでもかんでも他クラスに勝ちたがる傾向あったよねー!
教科書やノートなおして(←訳:片付けて)給食着袋からかっぽう着と帽子引っぱり出して着て…けっこう時間掛かるっちゃかい急かさんで~!「よろぴく」じゃないんだよw全くもう!
そういや忘れ物事件のときにもチラッと出てきた話ですが、職員会議とかで何処のクラスがいちばん出来てる!出来てない!とか、先生方のあいだではしょっちゅうそういう話が飛び交ってたのかもしれないですね。
そうすると、やっぱどうしてもトップを狙いたくなってしまうもんなぁ…いや、生徒たちにとってはイイ迷惑やっちゃがw
■アウトドア派にとっては死活問題なのだった
さて、「給食係まで急かさんでー!」と書いておいてなんですが、先生たちの思惑とは別に、そういや生徒たちにも給食を急ぎたい切実な理由がありましたね!懐かしーw
なんたって運動場のスペースは限られてますからね…アウトドア派の子たちにとって場所取りは超重要案件!
運営が小学生だった昭和50年代は勿論のこと、物語の舞台である1985年でもお昼休みを教室で過ごすインドア派小学生はまだ少なかったと思うので、平成や令和現在より凄まじい争奪戦が繰り広げられていたんですよね…
先に来た集団が球技なんかで占領しちゃった日にゃ、他の子たちは隅っこで馬跳びやゴム跳びあたりをするしかなかったもんなぁ~
それか、ボールで『あんたがたどこさ♪』をソロプレイするくらいしかなかったw
■重いのよwww
そうそうそう!給食の食缶はどれもかなり重かった!
アッコちゃんが苦戦してるのは汁物の食缶だと思うのですが、なんたって単なるバケツで水しか入ってないとしてもこの大きさの容器じゃ相当な重さですからね…それに加えて具が入ってるわけですから大人だってヘタすれば腰やらかす重さ(汗)
あと、米飯は水分あるからパンと比べてメッチャ重いんだよねーw
そして、1年生の食缶は5・6年生が運ぶとかも給食あるあるですよね^^
というか、「食缶」という言葉、数十年ぶりに使いましたw
小さいおかず…大食缶…小食缶…(懐かしさで遠い目になっている様)小学生の頃は毎日のように耳にしてた言葉だったなぁ
言葉といえば、五合を「ごんご」と読むのは宮崎弁かな?と思っていたのですが、実はかなり広範囲で使われている方言だと知りビックリ!
ゴンゴ〔山形・千葉・志摩・伊賀・南伊勢・京言葉・大阪・大和・和歌山・鹿児島方言〕
引用元:レファレンス共同データベース
余談ですが「ごんご」と聞くとつい、「♪焼酎ごんご~のぉ~♪」という、いもがらぼくとの歌詞が浮かんでしまう運営なのでした。
■自校調理方式という贅沢
宮崎市内の小学校は主に今でも「自校調理方式」の給食ですが、宮崎県内でも運営のひとりが通っていた都城市の学校は、小学校でも給食センターから運ばれていた給食でした。(しかも食器がひとつのトレイに穴が空いているやつなので、食べるときに姿勢が悪くなるとかで、その食器は廃止になった?とか…)
また県外では、昭和50年代に本州の某都市圏の小学生だった人の証言によると、
という話も見られたりしますが…
というか、上記証言は相当極端なケースだとは思うのですが、証言者の学校給食は冷めてるわ変な臭いするわで先生すらも残しがちだったらしく…なにそれ怖い(震)
学校の給食室のおばちゃんが出来立てホカホカごはんを提供してくれる自校調理方式のアッコちゃんたちは相当恵まれているんだよ!とこの事実を教えてあげたくなるのでした。
なお、センター調理方式の名誉のために当サイト関東スタッフの証言も置いておきます。
とのことでホッとしました^^
ちなみに給食室の調理のおばちゃんたちは、子供が通う学校の父兄の方を採用しているということから、アッコちゃんの同級生のお母さんが給食室で働いていたわけですが、最近は民営化が進み…給食室のおばちゃんも派遣会社のスタッフ、なんていう話もみられたりするので(もしかしたらスタッフの中に子供の父兄の方がいるかもしれませんが…)、このあたりが、また学校給食の今と昔の違いのひとつ、ともいえそうです。
■キャプ翼の影響すごかったのよ!
宮本さん、素晴らしいフットワークだなwwwそしてコレはキャプ翼効果ですねぇ
キャプ翼=キャプテン翼は、令和のヤングの皆さんも一度は名前を耳にしたことあるんじゃないかと思うんですが、1985年あたりはとにかく凄い人気だったんですよ!
連載自体は週刊少年ジャンプで1981年にスタートしていたし人気漫画でしたが、83年にアニメ化されてからの爆発的な人気は本当に凄まじくて社会現象となりました。
どのくらいの人気だったかというと、MRT(TBS系列)とUMK(フジ・日テレ・テレ朝クロスネット)の民放2局しかない宮崎でも放送されてましたからね!当時はまだまだマイナーだった「テレ東」発のアニメにも関わらずです!!!
当時、キャプ翼を観るために水曜夕方はダッシュで家に帰り、チャンネルを10に合わせてた思い出をお持ちの宮崎市民、めっちゃ多いはずっw
そうして大人気漫画&アニメなキャプ翼にハマった小学生たちがどうなったかというと、もうお分かりですね?
そう!少年サッカーを始めちゃうんですよ!!!
上記CMは1991年のモノですが、この記事でも少し触れたとおり80年代半ばには既に小戸橋河川敷などで毎週末のように少年サッカーの練習が行われていたし、この大会も80年代からあった記憶があります。
それまでは野球してる風景が定番だったのに80年代半ばから急激に少年サッカーを見掛けるようになったんですよ!恐るべしキャプ翼効果…。
なお、水曜夕方にキャプ翼を観るため家へダッシュで帰っていたのは実は小学生男児だけではありませんでした。
当時の中高生女子のなかにも熱狂的なファンが存在しており、イラストやしおりや便箋などを作成したり交換したり、市内某所(県庁付近のビルだった記憶がうっすらと…)で行われていたコミケ的なイベントでお目当ての本をゲットしたりしていたということは、やはりココに記しておかねばならないでしょう(使命感)
■キャンプ見に行くよねー!
「宮崎」キャンプの方に、松井秀喜さんが来てるとゆーのがいいですね~✌️【運営】
【巨人】ゴジラフィーバーでバイパス大渋滞 朝9時には席7割埋まる(東スポWEB)#Yahooニュース
https://t.co/VlG8zWlsFi— 平成元年あたりの宮崎の高校生あるあるbot (@MiyazakiSukkii) February 11, 2024
第11話感想でも触れましたが、宮崎人にとってプロ野球キャンプは一大イベント!
それは現在も同じなのですが、ネットが発達し、LCCの飛行機で気軽に他県へ飛べる2024年現在と違って、まだまだ陸の孤島全開だった85年の宮崎では現在以上に大きなイベントでした。
なんてったって、普段はテレビでしかお目に掛れないプロ野球のスター選手や監督に直接会えるわけですから!
まぁ、会えるといっても観客席や遠目で「見る」のがほとんどですが、それでもスターたちを間近で見られる機会ってそうそう無いですからね。特に野球好きの親子は毎年キャンプ見に行くのをそれはそれは楽しみにしてました。
そして85年といえば、まだホークスが福岡拠点の「ダイエー」ホークスになる前ですから、毎年宮崎キャンプに来てくれる巨人が好きな宮崎人率は今以上だったんじゃないかな!?
宮崎あるある満載なラップ「JYA.GA.NE(ジャガネ)」にも巨人キャンプのくだりが出てくるくらいには一大イベントなんですよw
■まだまだ身体構造が幼児寄りw
いつもの事ながら東村先生の観察力の凄さよwこのくだりは是非とも本編でご確認ください!
たしかに低学年ではないものの高学年でもない4年生ってそうかもしれんなぁ。
なんにしてん、ヒトに意地クソなこつしたらイカンじ!そして安易にしぬなっw生きろw
■普通の汁物の何倍もやっかい
あー…コレは難しい。お話の核心に触れてしまうのでボカシてお伝えしますが、コレ無しではこの日の給食は成立しないもんね(汗)足りなくなるのは絶対に許されない!
給食係さん、責任重大だな(^^;
さて、大きなネタバレになっちゃうので小さな薄い文字にしますが「コレ」についてちょびっとだけ補足させてくださいな♪見たい方はコピペの要領で反転して見てくださいね^^
■氷入りと氷無し両バージョンあるよ!
■お豆腐は絹派、木綿派、ペースト派、形を残す派など沢山の派閥があり、ひょっとしたらチキン南蛮より争いのネタかもしれないよ!
■具も胡瓜が主流ではあるけども焼きナスを入れるお家があったり、すり胡麻じゃなく練り胡麻やピーナッツ入れたり、作る人によって相当違っててバリエーション豊かだよ!
あと、清らかな心を持つ読者の方が真に受けてはいけないので書いておきますが、関東スタッフによると今回のドメ先の東京話も信ぴょう性は薄いとのことなのでご安心を^^
85年でもそんなにドン引きされたりするケースなかったんじゃなかろうか?だって東京のおとなり埼玉にも似た郷土料理があるし和食ファミレスのメニューにも前からあったし、そもそもそんな事言い出したら皆大好きニャンコめs(これ以降も延々とドメ先へのクレームが続いたw)
なお、アッコちゃんが配膳しながら語った御親戚のお話は東村先生の初エッセイ「もしもしアッコちゃん?」にたくさん綴られております。コチラもまるさんかくしかくと同じく毎ページ面白いのでオススメ!
■誰しもが好きとは限らない
運営はコレが大好きでコレだけで丼2杯は余裕で食べちゃうんですが、意外と好みが分かれるよねw
なのでこの描写のリアルさに吹きましたw宮崎あるあるだよなー^^
イイのです!相手は助かり、自分も残さずにすんでwin‐winなのだから♪
そして、政治ですなぁ。
小学校は教科書の勉強だけではなく、子供が人生ではじめて外交ともいえる本格的な人間関係の勉強をするシビアな場所でもありますもんね。小4ともなればその外交手腕もなかなかのモノです。4年4組のみんな、大人の階段を確実に登り始めてるぜ☆
斉藤くん、偉かったね。これからも輝け!緑のダイヤ!
■ドメ先てげしんきねーっちゃけどw
おおん!?
なんみあがっちょっとかーっドメ先!85年の宮崎にはもうボンゴレくらいあったやろがー!(…多分)ウルワシかアルベロベロん窓に頭かい突っ込ますっぞ!!!(とってもお下品な方言すみません^^;)
■見てたら食べたくなったよー!
いいねー!みんな景気良くダバダバしてるねー!!!
確かに、この光景は宮崎の給食ならではかもしれませんw
付け合わせの小さいおかずも「THE☆宮崎」だし、この組み合わせは間違いなく美味しいよね~見てたら食べたくなっちゃったよ!
ただ、小学生の給食としてはかなり渋めのラインナップですよねw
あとこのメニューと牛乳って冷静に考えたら相当ぶっ飛んでるなwwwでもみんな、まったく気にせず食べられちゃうんだよなぁw
以上!『まるさんかくしかく』19話目の「宮崎&昭和あるある」でしたが、読んでるうちにどんどん件のメニューのクチになってしまったので運営は今夜コレ作って食べますw
それにしても今回のオチよwww4組のみんなに幸あれ!
くわしくは是非とも本編でご確認くださいね^^
この先もどんなことが起きるのか?「宮崎&昭和あるある」とともに次回も楽しみです!