『南宮崎駅』
普段、そこにあるのが当たり前すぎて
もはや空気みたいな存在になってる場所ですが、
よくよく考えてみたら、宮崎市の中心的な駅のひとつ。
いろんな物語が、この場所で生まれたり消えたりしているのです。
1913年10月31日に誕生したこの場所に
1980年代後半から平成元年あたりのひととき、
列車をそのまま使用した、
白くオシャレなスパゲッテリアがあったこともまた、物語の1ページ…
南宮崎駅の駅舎の横にあったお店とは?
南宮崎駅の玄関の横、
中村五差路を背にして、南宮崎駅を見た場合の右側。
そこにそのお店はありました。
VESUVIO (ヴェスヴィオ)といいました。
いまは白と青でカラーリングされている南宮崎駅ですが、平成元年あたりは白と赤でした。
ヴェスヴィオは駅舎をこの方角から見て、右側にあったんですよ♪
ときは国鉄からJRに変わる頃、
ユーミンのシンデレラエクスプレスをBGMに、
JR東海のシンデレラエクスプレスのCMが流れまくっていた頃です。
…すみません、早々に話が脱線してしまいました。
ヴェスヴィオ!
すごいインパクトだったんですよ。
だって電車の一部がレストランになって、駅の横にあるんですもん。
いや、ありましたよ、昔から。
電車に限らずバスとかも。
廃車になったものをお店として使っているのを見かけることが、たまにありました。
ただ、そういうのって廃車現物をそのまま使っていることが多かったんです。
それはそれで、錆びてる部分なども趣深くて写真映えもするんだけれども!
このお店は、そういう方向性とは違っていて、
廃車になった食堂車両を、くたびれた状態のまま使用するのではなく、
白壁と窓辺の草花で彩って、ゴージャスな食堂車にチェーンジ!!!
そんな感じで颯爽と登場したんです。
とにかく、オシャレだったんですよ!
何もかもがオシャレだった、VESUVIO!
繰り返しになりますが、とにかくオシャレなお店でした。
まず、平凡な南宮崎駅という存在の片隅に
『白亜の食堂車が登場した』という事がオシャレで、
そのニュースだけでワクワクしましたもん。
宮崎はバス文化の地ですから、
比較すると、どうしても電車の存在は小さくなりがちですよね…
平成元年あたりは、現在よりも更にそうでした。
宮崎駅ならいざ知らず、
南宮崎駅はそんなに大きな施設でもないし、
とにかく地味な存在だったんです。
そこに!
唐突に!
ゴージャス食堂車的なレストランが爆誕!!!
楽しいことや面白いことを毎分毎秒探してる10代の宮崎市民だった我々、
当時このニュースを知ったときはワクワクが止まりませんでした(笑)
列車のレストランは入る前からオシャレ
そもそもヴェスヴィオ、お店に入る前段階からオシャレだったんですよ。
まず外観はこういう感じになっていて、
こういう感じの看板がお出迎え!
…なんで描いた。
思いに任せて描き殴りましたが、いくらなんでもダメだと思うので再チャレンジ
当時の興奮と記憶を頼りに図解してみました。思い出補正されてる部分もあると思いますが、さっきの殴り描きよりは現物に近いよ!
そして、こういう小さな屋根付きの白い小さな階段を上がって、
お店のドアを開くわけです。
こんな感じ! 勢いにまかせた図解は片目プラス5つぶって見てね!!!当然ですけど現物はもっとオシャレでした。で、この階段の横にさっきの飾り看板が立っていたのです。
オシャレ!!!
内装もオシャレだった記憶があります。
通路を真ん中にして、左右に四人掛けのテーブル席がいくつも並んでる感じ。
カチッとした長方形のテーブルに
清潔感のあるテーブルクロスが掛けられており、
そのテーブル脇の窓の外には
草花で彩られた小さなバルコニー。
…草花たちは、冬でも活き活きしてた記憶があるので、
記憶違いでなければ造花だった可能性も捨てきれませんがw
そんなことは大した問題ではなく、
窓に掛けられたオシャレなレースカーテン越しに
草花とともに見える風景は、
見慣れた街並みのはずなのに旅先の何処かに思えて、
ずっと眺めていても見飽きることのない、不思議で素敵な風景でした。
そして何といっても列車がお店の外を通過するたび、
自分たちも列車の中で食事をしている感覚になる、あのひととき。
思い出補正されている部分もあるかもしれませんが、楽しいお店だったなぁ。
列車のレストランで知った、見知らぬ名前の衝撃
ある日の放課後、
平成元年あたりの高校生たちは念願叶って、
南宮崎駅にある、列車の形をしたイタリアンレストラン・ヴェスヴィオに来ている。
宮交シティのUCCなら500円で鉄板焼きスパゲティを食べられるが、
このお店はそうはいかない。
その倍ほどのお値段を覚悟せねばならない為、潤沢な資金が必要だった。
なので、なかなか来られずにいたが、
ようやくこの日念願が叶ったのだった。
オシャレな店内のオシャレな席に座り、
いよいよメニューを決めるという段階で、彼女たちは衝撃を受けた。
平成元年あたりの宮崎では、
定番のミートソースは言うまでもなく、
トマトベース、クリームベースのスパゲティも大概のものなら、
もう一般的なメニューとして浸透しはじめていた。
なので、
たとえ『スパゲティ専門店』『スパゲッテリア』であったとしても、
そんなに戸惑うことはないだろうと彼女たちは思っていたのだが…
このお店はメニューの表記が、
彼女たちの知っている他の店たちとは、ひとあじ違っていたのだ。
ミートソーススパゲティは『ボロネーゼ』
知ってるはずなのに、知らぬ者のような顔で語り掛けてくるボロネーゼ…
そこに、ボンゴレロッソとボンゴレビアンコが続く。
彼女が指さした先にあるメニューは『スパゲティ・バジリコ』
彼女たちはまた、
『世界は自分たちが思っているよりうんと広く、
知らない事がたくさんあるのだ』ということと、
『未知への挑戦には大きな勇気と、
それと同じくらい潤沢なお小遣いが必要だ』ということを、
思い知らされたのだった。
ありましたね!
バスが止めてある駐車場の一角にありました。
子供でしたから、入ったことはありませんでしたが、電車の形をしていたので、何か面白いものがあるけれど一体なんなんだろうと近づいてみたことがあります。
ヴェスビオなんて、凄い名前だったんですね。
tuneさん。
そうなんです!実はこんなおしゃれな名前だったという(笑)
そして店内で食事をすると、まるで列車の中にいるような感じがする、
なんともオシャレな、今でいうところの?パスタ店でしたよ(*^^*)
ありましたね!
バスが止めてある駐車場の一角にありました。
子供でしたから、入ったことはありませんでしたが、電車の形をしていたので、何か面白いものがあるけれど一体なんなんだろうと近づいてみたことがあります。
しかし、ヴェスビオなんて、凄い名前だったんですね。