ドラマ【半沢直樹】の続編が始まると聞いて以来、
ワクワクが止まらない日々を過ごしている運営です。こんにちは。
【半沢直樹】は、緻密で濃いストーリー構成と、
そのストーリーを見事に演じきった俳優陣の実力の高さが素晴らしかったですよね。
私も第1話から最終回まで食い入るように観ていました。
というか実をいうと、
2013年初夏に、
【半沢直樹】がスタートするという番宣をはじめて目にした時点から、
と、大興奮だったんです…(笑)
何故そこまで喰いついたかというと、
主演が堺雅人さんだったからです。
堺雅人さんを知ったときのこと
2013年から、更に遡ること4年前の2009年…
自分のなかでの好きな映画ベスト3に入る作品と出会いました。
それは、【南極料理人】
とは言うものの、
当時、
この映画を観ることになった最大の要因は、
同年元旦に再結成したバンド、UNICORNでして…
平成元年あたりに絶大な人気を誇ったUNICORN。
1993年の解散でも泣き崩れましたが、2009年の再結成でも嬉しすぎて泣き崩れましたw
UNICORNの楽曲が主題歌に使われるということで、これは行くしかない!となり、
俳優陣のことは、ほぼ調べずに映画館へ行ったのでした。
とはいえ、生瀬勝久さんや、きたろうさんが出てる時点で面白いに決まってるとは思っていたんですよ!!!
ただ、主役の俳優さんは知らない方でした。
で、その主役は、
ポスターでの初見は、
ボンヤリしててパッとしない感じだったクセに、(←どんだけ失礼だよw)
スクリーンで観てみたら、
唯一無二のオーラを放つ俳優さんで…
その演技、表情、仕草、すべてに圧倒されました。
惹かれて、
惹かれて、
映画館を出てすぐにネットで調べて、
そこではじめて、
その俳優さんが堺雅人さんという方なのだと知り、
そして同時に、
『平成元年あたりの宮崎の高校生』のおひとりだったのだと知りました(笑)
その足で速攻【ジャージの二人】を借りに行き、観たおし、
【ゴールデンスランバー】で泣き、
【その夜の侍】で人間の生臭さと体温にたじろぎ、
【リーガル・ハイ】で俺の知ってる堺雅人じゃないwと爆笑し…
書きだしたらキリがないのでここまでにしますが、
とにかくどの作品を観ても毎回素晴らしい演技で、
「こんな役者さん見たことない!!!」となるんですよね。
なので、
2013年、【半沢直樹】の番宣で主演:堺雅人という文字が流れた時点で、
これは絶対観るぞ!とドラマが始まる前から大興奮だったわけです(笑)
堺雅人は『平成元年あたりの宮崎の高校生』だった
堺雅人さんは、1973年生まれ。
出生地は兵庫県ですが、2歳で宮崎に引っ越して来られ、
そこからは幼(←カベムシを演じた俳優の原点)小中高とずーっと宮崎で生活されていたので、
出身地は『宮崎県宮崎市』とされているんですよね♪
…というか、そりゃそうだよ!
『ものごころ』ついたときから宮崎市に居たんだもん!宮崎のコだよ!!!
(もともと御親族も宮崎に居られるんじゃなかったかな…)
実際、
堺さんの主演作のひとつ【ひまわりと子犬の7日間】を観たら、
「あ、このヒト宮崎人やね!」ってすぐ分かりますよね(笑)
全編ほぼ宮崎弁で構成されていて、
多くの役者さんが宮崎弁で話していらっしゃる作品ですが、
そのなかでの堺さんの『ネイティブ宮崎弁』の安定感、
ハンパないです!!!
あれは、宮崎で日常を過ごしたモンにしか出せん安定感やわ(^ω^)
で、そんな堺雅人さん。
宮崎市の国富(くどみ)小学校卒業後、
地元の本郷中学校・・・ではなく!?
なんと『宮崎大学教育学部附属中学校』に進学されたという話なので、
これだけでめっちゃ頭いいんだろうなーって思っちゃいますよね( *´艸`)
そして付属中学校卒業がちょうど1989年にあたることから、
平成元年あたりは、
当然、いたって普通の宮崎市民として、高校生活を過ごされていたわけですが、
その高校というのが、県内屈指の進学校のひとつ『宮崎県立宮崎南高等学校』
通称『南高』なんです。
…さて、ここまでは堺さんのプロフィール的なことをザックリ書いてきましたが、
堺雅人さんについて、
もっと様々な詳しい情報を知りたい方は、
ウィキペディア等をご覧になることをおススメします。
(というか、堺雅人さんの著書がとても面白いので、そちらを更におススメします♪)
それではこのサイトでは、ここから、
『平成元年あたりの宮崎の高校生』のひとりだった堺雅人さんも、
当時、
多分というか、確実に
「一度は行ったことあるよね?」と思われる場所をご紹介しまーす♪
『橋から南』に居る学生がよく行く場所・宮交シティ
南高といえば、南宮崎方面に位置する高校。
赤マルの位置が南高です。最寄り駅は南宮崎駅。駅から学校までの距離は、自転車で10分チョイくらいかなぁ
で、平成元年あたりの宮崎に居たヒトなら、
ましてや学生で
南宮崎方面に居たヒトなら、
絶対に、
行かずにはいられない、行かずにはすまない…
避けては通れなかったであろうスポットがあります。
その名は、
宮交シティ
平成元年あたりの宮交シティ1F。
この頃はシンボル【アポロの泉】に大きなモニュメントと噴水がありました。後ろにあるのはメインエスカレーターです。
当時、
特に、宮崎市の南側に居たヒトは、
よっっっぽど特別な理由でも無い限り(どんな理由か想像つかないけど…)
絶対に行っていたはず!
2019年現在の南宮崎方面の住民にとっても、
宮交シティは日々の生活に欠かせないお店に違いありませんが、
当時は、源藤町のニトリモールも無ければ、
ラウンドワンの向かい側のショッピングモールもありませんでしたからね!
っていうか、そもそもラウンドワンも無かったからね!!!(笑)
ほんっとに、南宮崎方面で大きなお店って言ったら宮交シティしかなかったんです!
(レマンは若干、南宮崎方面から離れた場所だしさ…)
なので、しつこいようですが
特に南宮崎方面の『平成元年あたりの宮崎の高校生』にとって、
宮交シティは、絶対に避けて通れないお店だったんです!
と、いうわけで、
当時の宮交シティをご紹介していきます。
…堺さんもキット、放課後とか来てたんだろうなぁ(^ω^)
平成元年あたりの宮交シティのこと
まずは、平成元年あたりの宮交シティ全体図のご紹介から。
当時は道向かいに【サンスポーツセンター】があり、高校生たちにとってもオアシスでした…
ちなみにショッピングセンターの周りの数字は、バス乗り場の番号です。
この頃に限ったことではなく、現在も宮崎市内&市外、そして県外行きの高速バス乗り場もあります。
宮交シティは、
県内最大のバスターミナル【宮交シティバスセンター】を擁する
総合ショッピングセンターです。
2019年現在は、核店舗の【イオン南宮崎店】と専門店街で構成されていますが、
平成元年あたりは、
核店舗の【ダイエー宮崎店】と専門店街で構成されていました。
平成元年あたりの宮交シティ外観。3階屋上は夏にビアガーデンをやったりしてて賑やかだったんですよ。
さらに言うと、
このショッピングセンターと道を挟んだ向かい側に、
歩道橋でつなぐ形で【宮交シティ・サンスポーツセンター】も存在しました。
サンスポーツセンターは2Fにボウリング場、ゲームセンター、ビリヤード場があり、
1Fでは、夏は室内プール、冬はアイススケートリンクが開設されていました。
『電車よりバス!』な文化の宮崎で、
最大のバスターミナルがあり、
ゲーセンやプール等の娯楽施設もあり、
大きなスーパーと専門店街がある。
そんな充実の宮交シティは、当時とにかく賑やかで、
放課後は様々な高校の学生たちが集まっていたものでした。
平成元年あたりの宮交シティ専門店街(1F)
さて、当時の店内の様子を見てみましょう。
まずは1Fから!
シンボル【アポロの泉】から奥はダイエーで、経営が別だったんですよね。
高校生たちはそんな事は気にも留めず、
ダイエーと専門店街の両方を日々使っていました(笑)
宮交シティ1Fといえば金欠の高校生たちの強い味方、
学生うどん(150円)
学生ラーメン(180円)が、
ダイエーのフードコートにあったのですが、
ちょっとお財布の中がリッチなときは、専門店街のお店で食べるのが楽しみでした♪
ロッテリア
アポロの泉のすぐそば、そしてバスセンターの横という、分かりやすい場所にあったロッテリアは待ち合わせにもよく使われていました。
食べながら、こん後ゲーセン行くか、本屋覗くか、雑貨屋みるか…作戦会議じゃ!
UCC Cafe Plaza
通称『UCC』大駐輪場側の入口からすぐのお店でした。
店内の、椅子という椅子の高さが凄かった。なんであんなに高かったのか…
座ると床に足が着かず、心許なく空中でブラブラするしかなかった思い出w
鉄板でジュージューいってる麺の上に生卵が乗っちょって、鉄板の熱でだんだん半熟になっていくとよね…これがてっげ美味しいと!500円くらいで食べらるっじ♪
ミスタードーナツ
2019年春の大リニューアルで場所こそ移動してしまいましたが、現在も絶賛営業中の『宮交シティの重鎮』ことミスド。
テンションあがって、5個も買ってしもたが( ̄▽ ̄;
ココんミスドはバス停の前で入りやすいかい、つい寄ってしまうとよねーwして、ウチらのおる平成元年あたりには既に老舗感が漂っちょるじ♪
確かにその頃には既に年季の入った店舗だったような…
2019年のリニューアル以前はこうやったっちゃじ(^ω^)
ひょっとして、1973年の宮交シティオープン当初から存在していたのでは?と思い、少し調べてみたところ、その可能性が高いことが分りました!
というのも、ミスド公式HPでこういう記述を見つけたんですね
1973年(昭和48年)●北海道での第1号店となる、第74号函館五稜郭ショップオープン
引用元:ミスタードーナツ公式HP【ミスタードーナツの歴史】
宮交シティのミスドのショップナンバーは『0080』
つまり第80号店なんですね。
そして、上記の第74号店のオープンが1973年。
宮交シティショップは、そこから6店舗目にオープンしたことになりますので、
多分、宮交シティ誕生のときから共に歩んできたんだろうなぁ…これからも頑張ってミスド!※2024年1月追記:1973年11月のオープン当時からミスドがあったことを入手した資料で確認しました^^
あと、余談ですが、
堺雅人さんは若かりし頃、都内のドーナツ屋さんでバイトしてらっしゃったんですよね。
そのドーナツ屋さんがミスドかどうかは定かではありませんが、
1973年生まれの堺さんと、
1973年オープンの宮交シティと、
『ショップナンバー0080』のミスド…
なんだか不思議な縁のようなものを感じてしまいました^^
マルトミ
靴のマルトミですね。比較的お手頃価格でカワイイ靴を置いてくれていた記憶があります。そしてマルトミといえばおもちゃのBANBANの運営会社。
おもちゃのBANBAN恒久店は、この宮交シティから自転車で10分ほどの場所にありましたよ♪
そんなマルトミも、今ではファッションブランド【GU】…
時の流れを感じてしまいます。
パスポート
宮交シティには3階にも雑貨屋さんがありましたし、ダイエー側にも雑貨コーナーがありましたが、パスポートはその中でも大人っぽい系の雑貨店。輸入雑貨も扱っているお店でした。
30年程ぶりに家の片隅から発掘されたパスポートの袋
モノトーンが流行っていた平成元年あたり、この袋もすごくオシャレに感じたものでした^^
高校生たちはココでウィンドウショッピングするのが好きで、長い時間入り浸ったりしてましたねー(笑)
文具のペン
大きめの文房具屋さんで、置いてある文具の種類も豊富でした。
ペンコーナーの試し書きの紙に延々とラクガキをしたり、
可愛いノートやレターセットを眺めたり、面白い文具を発掘したり、
香り付き消しゴムを嗅いだり…w 楽しさ無限大のお店でした。
宮崎カメラ
2019年を生きている我々は、
スマホ等で撮った写真をその場で瞬時に確認できますが、
平成元年あたりの高校生たちはそうはいきませんでしたからね(笑)
アポロコートはまゆう
宮崎の名産品や銘菓等、主にお土産用の商品を扱うお店だったと思います。
地元に住んでいる身にはあまり関係がないと言えばそうなんですが、たまに暇つぶしでお店の品々を眺めるの好きだったなぁ
宮崎を代表するお菓子、青島せんべいやチーズ饅頭、今は無き(泣)谷清栄堂のくるみ田楽や日向かぼちゃなんかも置いてあって…
見ているだけで、地元に居ながらチョットした旅気分を味わえるお店でした。
りーぶる宮崎
平成元年あたりは1Fに存在していましたが、
平成8年の大リニューアルで1Fだけでなくに3Fにも【BOOKハウスりーぶる】がオープンして、
いっときは専門店街に2つも書店がありましたね(^^)
2019年に3Fりーぶる閉店のお知らせを聞いたときは淋しかったなぁ…
大きめの書店でしたねー!そして品揃えもよかった。
漫画から海外の絵本から少し変わった専門書まで、結構幅広い本を置いていたイメージがあります。
いまでこそ【いぬのきもち】とかペット専門誌もメジャーになりましたが、当時はそうではなかったんですよね。
なので動物好きな身としては【愛犬の友】をこのお店で見つけたときは、面白くて軽く1時間以上立ち読みしてしまった思い出があります(笑)
( ̄▽ ̄※)
して、立ち読みせんで買いないっ!
西村楽器店
橘通りの西村のビルよりは流石に小さいですが、それでもかなり品揃えのイイお店で、レコード、そしてこのころ普及しはじめたばかりのCDも、壁の棚にズラリと並んでいたのを思い出します。
楽器も楽譜も沢山あって、
むしろ品揃えにお店の大きさが追い付かない感じだったなぁ(笑)
アポロの泉
『宮交シティ専門店街1F』といったら、やはりシンボル【アポロの泉】のことを書かないワケにはいかない!(笑)
古くは、このアポロの泉で毎週のど自慢の中継をやっていたとのこと。
平成元年あたりにはその番組は無くなっていましたが、イベントごとはしょっちゅう開催されていました。
夏休みは子ども向けの工作教室みたいなのもやってた覚えがあるし、クリスマスはクリスマスケーキの特設ブースがあった記憶があります。
そして、なんといってもバレンタイン!
アポロの泉の前のフロアに、所狭しと並べられたチョコレートの数々と、
そのチョコを吟味する、もの凄い数の女子たち…
その圧倒的な熱量に反比例するような、
伸びに伸びきったカセットテープの【バレンタイン・キッス】
これが、乱雑に置かれたラジカセからエンドレスで聴こえてくるという、異空間でしたw
しかも1年だけじゃなくて、毎年これでしたからね!
あと、アポロの泉の後ろのエスカレーターのトコにあった公衆電話コーナーはいつも混んでましたね。
スマホどころか携帯も、いやポケベルもまだない時代でしたから、
テレカ(テレフォンカード)持って何分も並んでたなぁ…
待っているあいだの暇な時間は、
ウォークマンで音楽を聴きながら周りの風景を眺めたり、手持ちの漫画読んだり、手の届く範囲で面白いことをみつけてやり過ごしていたのを思い出します。
2F・3F、そしてプラスいくつかのこと
思い入れのある場所なだけになかなか書ききれませんが、
2F・3Fのことと、他にもいくつかのことを年明けに少しずつ更新する予定にしています。
(そのうちのひとつはコチラ)
そのまえに1Fのことだって、すべてのお店のことは書ききれていませんから(^^;
くれたけは確かちょっとだけ高そうな和食屋さんだった気がする、とか
ポシェットはパン屋さんで、いつもイイ匂いがしてた気がする、とか
あまりにボンヤリした記憶のお店は今回は書きませんでしたが、情報随時募集中です!
記事に書き足してもイイよーという情報がありましたら、有難く追記させて頂きますね♪
では!今回はこの辺で。
平成元年あたりの宮交シティのことシリーズ
■平成元年あたりの宮交シティ2階のこと~味のプロムナードもココ!~
■宮交シティバスターミナルの柱の色を見て思うこと。
■宮交シティのすぐ隣にベスト電器があったのをおぼえていますか?
南高卒、まだ20代前半ですが懐かしく思うところがたくさんあり、他の記事も興味深く読ませて頂きました。
宮交シティは幼少から現在まで数えきれない程行っています。父が「昔は夏にプール、ビアガーデンがあってそこでバイトしてた!冬はスケート場があった!」と言っていて、あんな敷地に…?と半信半疑でしたが本当だったんですね。ベスト電器の記事でも、ものごころついた時から謎だった、立体駐車場の入り口のガラス張りの建物が昔はお店だったことを初めて知り、目の覚めるような感覚です。
貴重なお写真や資料を懐かしむだけでなく、答え合わせのように拝見させて頂けて、ありがとうございます。
Mimi さん。
コメントありがとうございます!
今20代前半とのことなので、
すでに宮交シティにプールやスケート場がすでになかった時代ということなんですね!
あの宮交シティ前のパチンコ屋はかつて実は巨大なレジャー施設だったんです^^
(なのでプールやボーリング場が潰れた時は本当に悲しかった…)
そして記事を読んで謎に思っている部分が解明できたと言っていただき、
執筆した運営陣としてとてもうれしく思います!!
なかなか昔の資料がなくて・・・文章でお伝えすることばかりですが、
昔の(主に平成元年あたりの)宮崎のことを語るサイトとして、
懐かしんでいただいたり、また「そうだったんだ!」って思っていただけるような、
楽しい記事をこれからもUPしていきますので、
これからもよろしくお願いします。
平成元年時、小6でした。80〜90年代の宮崎市をネットで懐かしんでいたら、このサイトを見つけました。
恒久に住んでいたので、宮交シティは唯一の娯楽施設でしたね。本当にここしかなかったですもんね。
2Fの飲食店街、味のプロムナードでしたっけ?
確かに、くれたけはちょっと高級感ありましたね。入ったことはありませんでしたが。
威勢のいい店員がいた不二かつ。ここは注文すると、店員が「いよっ!」って返事してました。子供用に、雑誌の付録?的なおもちゃを貰えましたね。
それから、お店の壁に沿って走る汽車の模型が印象的な喫茶店もありましたね。
このサイトを拝見して、当時の記憶が鮮明に思い出されますよ。あの頃の資料を集めるのは大変だったかと思います。
他の記事についても、思い出深いものがたくさんです。これからも、ぜひ素晴らしい記事をUPしてくださいね。楽しみに拝見させていただきます。
tuneさんありがとうございます!
頂いたコメント、運営陣にとってどれだけ嬉しいことか…とても励みになります!
恒久にお住まいだったとのこと、宮交シティは日々の生活に欠かせない存在だったと思います(^^)
平成元年当時小学生ということは、3階のおもちゃのリンリンやゲーセンのチルチルも行ってらしたのでは?
汽車の模型が走ってた喫茶店、チルチルの隣あたりにあったように記憶しています(まだ確認中なので記憶違いだったらすみません・汗)
2階の飲食店街、仰る通り【味のプロムナード】でした。
運営陣は金欠学生だったためもっぱら1階ダイエーの学生うどん&ラーメンを食べていましたが、たまにリッチなときに食べるガンジスカレーやとん平のお好み焼きは格別に美味しかった♪
不二かつのお店やステーキのフォルクスから漂う美味しそうな匂い…金欠のときにあの通路を歩くのは苦行だったなぁ(笑)
宮交シティのことを語りだすと話が尽きません。
まだまだ書けていない事が多い発展途上のサイトですが、これからも少しずつ、ですが雑に書かずできる限り丁寧に記事をUPしていきますので、今後も楽しんで頂けたらさいわいです。
平成元年頃、川から南の高校生でした。
城ケ崎で生まれ育った私にとって、「宮交シティ」は思い出が詰まりまくった場所です。
以下、昭和末期~平成初期頃の宮交シティの思い出…
①チャリンコ置場に自転車を停め、タクシー側入口から入るとUCCの何とも言えない香しい匂い。食欲をくすぐるられる。
②たまたま行くと、アポロの泉にすごい人。当日大人気の「杉浦幸」が来るらしい!到着を待つ(だいぶ遅れて到着した記憶)。
③夏休みの友、天気を書き忘れても大丈夫。アポロの泉に夏休みの天気を張り出してくれていました。
④ちょっと背伸びしたいとき、ダイエー側にあった「ムービン」で洋服購入。嬉しくて家に帰ってすぐ着た記憶。
⑤ジャンボプールは夏のオアシス。使い終わった乾電池を持っていくと、一個10円の割引。40数個持っていって、乾電池だけで入場するつわものも。
ほんの一部ですが、雑多に書き連ねてみました。
ここの記事を見ながら、平成元年頃にタイムスリップしてあの頃を思い出し、楽しんでいます。資料集め等大変かと思いますが、応援しています。!
そばめし さん。
遅くなりましたが、コメントそしてたくさんの貴重な思い出語り、ありがとうございます!
運営とおそらく・・・同じ年代くらい?と思われることなので、宮交シティの思い出を拝見させていただいた限りでも、
色々共感できる部分がたくさんありそうです~(^^♪
アポロの泉の杉浦幸!運営は残念ながらこちらは見に行かなかったのですが、あの場所はほんとにいろんな芸能人が来てますよねっ
ちなみに運営の場合は・・・まだ小学生の時ですが、あの場所で石川秀美を凄い人出の中で見た思い出があります^^
そんなことも含めて、宮崎市の南側の学生の思い出といえば・・・なんといっても!
宮交シティのことは欠かせないのではないでしょうか(*^^*)
最近は更新が滞っていますが(汗)、これからも平成元年あたりの思い出を色々書いていきますので、
またぜひ、楽しんでもらえたらと思います!
これからも宜しくお願い致します。