MIYAZAKI♥LOVE
平成元年付近や21世紀になった宮崎のことを語ろう
宮崎のお店

宮崎市に2つのアイススケート場があった?宮交スポーツセンターとアイスパレスのこと

平成元年あたりの宮崎の高校生』世代の皆さんならほぼ確実に知っているであろう場所のひとつ、宮交シティのアイススケート場

この施設は平成元年あたりの宮崎市で唯一のアイススケート場で、冬の大きな娯楽でした。

さて「宮崎市で唯一のアイススケート場」と書きましたが、じつは平成元年あたりよりずっと昔のある時期、宮崎市にはもうひとつアイススケート場があったんですよ!

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宮崎アイスパレスは何処にあったのか?

2023年から遡ること50年以上前、

宮交シティのスポーツセンターがオープンするより前に、市内に宮崎アイスパレスというアイススケート場があったのをご存じですか?

恥ずかしながら、運営陣は2021年にTwitterで平成元年あたりの宮崎の高校生たちを通してフォロワーさんに教えて頂くまで、詳しいことはまっっったく知りませんでした(^^;

Twitterの皆さんに様々なことを教えて頂いているウチの高校生たち。いつもありがとうございます!

宮崎アイスパレスは恒久のトライアル付近、八重川を渡ってすぐのもっときっと(ビブレアール宮崎)がある場所にあったそうです。

ビブレアール…平成元年あたりには『家具のAコープ』という名前だったこの場所が、まさかアイススケート場だったとは!

八重川を渡ってすぐの場所、

ココに宮崎アイスパレスがあったんだなぁ

平成元年あたりは、まだ家具のAコープという店名でしたよね(^^)
細かく書くと、1990年11月まではこの店名だったとのこと。

当時からやたらと豪華でカマボコのような屋根が特徴的な不思議な造りの建物だなーと思ってはいたのですが、

あの建物が元アイススケート場だったとは!

(現在も屋根がカマボコっぽいですが、多分改装か建替えしたんじゃないかなぁ…)

それにしてもアイスパレスってまた随分とオシャレな名前だなー

と思ったのですが宮崎だけではなく、昔から東京・後楽園アイスパレス(昭和26年オープン)福岡・天神アイスパレス(昭和42年に賑わっていたのを確認済)などの施設があり、とてもメジャーな名前だったんですね。

そして同名のスケート場が全国各地にあったということは…アイススケートは昭和30年代には既に日本で定番のレジャーだったんだなぁ

個人的に、

あんな大きな氷の床を作るのってすごく難しそうだし、そういう技術が一般化したのってもう少しあとじゃないかな?

と思い込んでいたのでちょっと驚きました。

宮崎アイスパレスのオープンはいつだったのか?

宮崎アイスパレスは昭和42年(1967)11月15日に県内初の屋内スケート場としてオープンし、当日の落成式には新聞社やテレビ局が来ちゃうくらいの大騒ぎだったようです。

当時、すでに東京や福岡では一大レジャーとして人気があったスケート場…しかも全天候で楽しめる屋内スケート場がはじめて宮崎にやって来たわけですから、大騒ぎになるのも頷けますね(^^)

南国の宮崎市でアイススケート場が2つ同時に営業してた時期があった!?

そしてアイスパレスのオープンから6年後、

昭和48年(1973)に宮交シティスポーツセンター(途中からは宮交シティ『サン』スポーツセンター)がオープンしました。

2023年現在はパチンコD´STATIONですが、平成13年(2001)まではココに宮交シティサンスポーツセンターがあったんや…夏はプール、冬はスケート、そしてゲームコーナーとボウリングは季節関係なくいつでも賑わってたよね(^^)

宮交シティのスポーツセンターとアイスパレス、周辺の土地勘がある方はお分かりかと思いますが、めっちゃ近い!
自転車でも飛ばせば10分掛からないくらいの近さですよねw

この事実を知ったとき、ウチの高校生もこんなツイートをしていました。

しかし…もし、仮に昭和40年代当時アイススケートが超人気レジャーだったのだとしても、いくらなんでもこの至近距離にアイススケート場2つって需要あったのだろうか???

高校生A
高校生A
そら調べてみんと分からんやろ
高校生C
高校生C
そうよ、意外と2つ同時に繁盛しちょった時期があったかもしれんじ?
高校生B
高校生B
宮交がやっちょったかどうかも分からんし、マジでどこん会社がやっちょったっかも気になるが~!
うん、確かにそうだな。

というわけで、我々はアイスパレスと宮交シティスポーツセンターのスケート場、このふたつのスケート場の謎を探るためジャングルの奥地へ…いや違う、数々の資料を調べはじめたのでした。

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アイスパレスはいつ閉鎖したのか?

アイスパレスは昭和48年に惜しまれつつ閉鎖したそうです。

昭和48年(1973)
11・ 本県初のスケートリンクとして親しまれていた恒久の宮崎アイスパレスが閉鎖した(昭和42開設)。

引用元:宮崎市史編纂委員会 編『宮崎市史』続編 下

引用冒頭の『11・』っていうのは11月ということだよ
高校生C
高校生C
え!?昭和48年11月!?それって!Σ(゚□゚ノ)ノ 
高校生A
高校生A
宮交シティがオープンしたのとおんなじ時期やがね!(゚∇゚;;

そのとおり。上記引用元の同じページには次のような記載がありました。

昭和48年(1973)
11・23 「宮崎交通」と「スーパー・ダイエー」共同建設の「宮交シティ」がオープンした。同日「宮交シティバスセンター」も営業を開始した。

引用元:宮崎市史編纂委員会 編『宮崎市史』続編 下

ただ、実はこの宮交シティグランドオープン以前にスポーツセンターは先行オープンしていたことも判明しました。

宮交シティー・スポーツセンター(大淀四丁目)があり、昭和四十八年七月十四日開業

引用元:宮崎市史編纂委員会 編『宮崎市史』続編 下1705ページ

アイスパレスの話題の部分には日にちの記載が無いから11月のいつ頃に閉鎖したのかは分からないけど、同時に営業してた時期があった可能性は低いかもしれないね。

ただスポーツセンターは7月にはオープンしてたわけだから、もし夏のプールのあと9月や10月からスケート場をスタートさせてたとしたら、

そして仮にアイスパレスの閉鎖が11月末だったのだとしたら、1〜2か月間だけは2つのアイススケート場が宮崎市に存在していたのかもしれない。

高校生B
高校生B
何か月かだけ2つあったスケート場…もしホントにそうやったとしたら、なんか幻みたいでロマンを感じるね~

宮崎アイスパレスは宮交の施設だったのか?

さて、先ほどチラッとご紹介した高校生たちのツイートにもありましたが、アイスパレスは何処の会社の施設だったのでしょうか?

もし宮交の施設だったのだとしたら、それがそのままそっくり同社経営のスポーツセンターに移転したカタチになるので同施設スケート場の前身ということになりますが…

答えは昭和49年(1974)出版の『九州経済統計月報』という資料にありました。

経営者の欄に藤仲興産KKという記載が!

藤仲興産さんといえば延岡の老舗!そうかこの会社の施設だったんですね。

ということは、アイスパレスはスポーツセンターのスケート場の前身ではない?
スポーツセンターのオープンとアイスパレス閉鎖時期が近いのは全く関係なかったのか?というと、実はそうとは言い切れない可能性も見つかりました。

アイスパレスを調べているうちに昭和44年(1969)出版の『東京紳士録 昭和45年版』という資料にたどり着いたのですが、

アイスパレスの社長さんの叔父が当時の宮崎交通社長の岩切省一郎さんなのです。

岩切省一郎さんは宮交シティオープン時の宮交の社長さんです。

スポーツセンター内にスケート場を作ることに関して、甥であるアイスパレス(しかもメッチャ近くにある)の社長さんや藤仲興産さんと様々な意見のやり取りをしていても不自然ではないかなと個人的には思いました。

両者の関係性を考えると、やはりアイスパレスは宮交シティスポーツセンターのスケート場の前身的なものだったんじゃないかなぁ。

南駅前からスポーツセンター内に移転しても名前が消えなかったスターレーンとは異なり、名前は残らなかったけど…

あくまでも個人的な推測なので、間違っていたらすみませんm(__)m

宮崎アイスパレスの社長さんとは?

さて、ここからは様々な資料を読んだ結果、偶然に知ることとなった情報の数々と、
それを踏まえての勝手な考察です。

まず先述の昭和44年(1969)出版『東京紳士録 昭和45年版』には、宮崎アイスパレス社長は「谷正勝」さんとの記載があります。

延岡の谷家のご長男ということで、これも先ほど引用した昭和49年(1974)出版『九州経済統計月報』に書いてあった”経営者 藤仲興産KK”という記載と情報が一致します。

そして谷正勝さんといえば、延岡出身の作家、谷克二さんのご本名と一致します。

谷 克二(たに かつじ、1941年3月5日 – )は、日本の小説家。狩猟冒険小説の第一人者として知られる。

宮崎県延岡市出身。本名は谷 正勝(たに まさかつ)。

引用元:Wikipedia

谷克二さんは2012年まで放送していたUMKの「宮崎経済ナビ」に月2回ほどご出演されていたので、テレビでご存じの方も多いのではないでしょうか?

アイスパレス社長だった谷正勝さんと作家の谷克二さん、

このお二方が同一人物かどうかは、谷克二さんのプロフィール等に載っていないので定かではありません。

ただ昭和42年(1967)宮崎市に突如登場したアイスパレスという、センスの良い名称の華やかなアイススケート場と、国際的な広い視野をお持ちの谷克二さんが繋がっていたとしたら、とてもロマンチックだなぁ…

などと、ボンヤリと空想する運営なのでした。
(勝手考察なので間違っていたらすみません!)

余談ですが、谷克二さんの『故郷であるが故に』というエッセイがとても楽しかったのでオススメですよ♪
個人的には『祝子川』が特にお気に入りです。

延岡の『泉デザイン研究所』さんのサイトで読むことが出来ますのでご興味ある方はぜひぜひ(^^)

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