東村アキコさんがご自身の小学生時代をモデルに描いている、『まるさんかくしかく』。
話の舞台が「1985年(昭和60年)の宮崎」ということもあって、前回に引き続き第26話目を堪能したところで今回も、【つい小ネタに反応してしまう運営のコーナー】をお送りしたいと思います。
本編を堪能してから読んでいただいても良いし、「漫画は気になるけど読んでいない」という方も、良かったら先にこのコーナーに目を通していただき、東村アキコさんの『まるさんかくしかく』に興味を持ってくれたらいいな、なんて思っています(*^^*)
※この先は作品のネタバレを含みますので、ご注意ください…
「まるさんかくしかく」第26話の小ネタに反応しちゃう運営のコーナー※ネタばれ注意
【🌴#まるさんかくしかく 26話🌴】
最新話掲載の #オリジナル 14号が発売中❣️
漫画クラブに入ったアッコ!
しかし、顧問の先生は漫画素人!?
5人1グループで漫画を描くことを提案してきて!?漫画家・ #東村アキコ の処女作(!?)誕生秘話!(を基にしたフィクション!) pic.twitter.com/7FhXi56SRR
— 東村アキコ『まるさんかくしかく』公式(単行本2巻発売中!) (@marusankaku1985) July 5, 2024
今回のテーマは「漫画グループ結成事件」となっていますが、その内容の随所に当時の時代背景が伺える小ネタが今回も満載でした(^^♪
では、すこし下にスクロールしたところから始めますよ~
さん
に
いち
■アニメ雑誌いろいろあったねー
ニュータイプ!メグさんぶっこんできたなぁwww当時の小6女子でこの雑誌に手を出していた猛者はどれくらいいたのだろう?
ちなみに85年以前はアニメージュとアニメディアが2大勢力だった記憶があります。それ以外にも色んなアニメ雑誌がありましたね~
サブカル色強めの月刊OUT、ふぁんろーど、そしてアニパロも懐かしいなぁ。
■「※この頃はマンガのことよく分かってない大人が多かった」
東村先生が手書きされてるこの注釈、うんうんと頷きながら読みました。
運営にも覚えがあるー!2024年現在では小さなお子さんからご隠居さん世代まで広く様々なジャンルのマンガが愛されていますが、運営の親世代だとマンガにあまり馴染みが無い大人の方が多かったんじゃないかなぁ。
1980年代中期あたりはまだ「マンガは子どもの読むモノで大人になったらもう読まない」という風潮がありましたし、大人向けマンガというジャンルもまだまだ少なかったと思います。
運営の親の本棚にはマンガがあるっちゃありましたが、母が若い頃に買った長谷川町子先生のサザエさん、エプロンおばさん、いじわるばあさん等があるのみで、あとは小説やエッセイ等の「本」が並んでいました。恋愛マンガやナンセンスなギャグ漫画は両親の本棚に一冊も並んでなかったです。
少なくとも運営のまわりはそういう大人ばかりだったので、壁新聞をクラスの班とかで合作させるノリで「グループで合作マンガを作りなさい」というトンデモ発想が先生から出てきちゃうのは、ちょっと納得出来てしまうのでした(^^;
■奇面組といえばおニャン子クラブ
本編の注釈に書いてあるとおり、85年といえばハイスクール奇面組のアニメが放送された年!宮崎ではUMKで土曜19:30~20:00に放送されていました。
ジャンプでの連載が大人気だったのは勿論のこと、アニメ版もめっちゃ人気でしたよね^^
面白いうえに、OP・EDと挿入歌まで当時大ブームとなっていたおニャン子クラブ(のなかのユニットであるうしろゆびさされ組/うしろ髪ひかれ隊)が担当していたので楽曲もヒット連発でした。
初代OPの「うしろゆびさされ組」と2つめのOP「象さんのすきゃんてぃ」(←令和だと無理があるネーミングw)のサビはいまでもちょっと歌えてしまえる自分が怖い…個人的には初代EDの「女学生の決意」が好きだったなー。
■小6の見事な意見と見苦しいドメ先と宮崎とサザン
今回もナイスな見苦しさを披露してくれているドメ先に乾杯☆
まーた「サザンに入る予定だった」的なフンワリしたホラを吹いたものの、小6の真っすぐな意見にガッツリやられてしまうのでしたw
小6のお兄さん見事です。その意見ドンピシャですよ♪しかもその「友達同士で組んで」のなかには宮崎生まれ宮崎育ちの方がいらっしゃるんですよね~
断じて東京のプロデューサーが各地からメンバーを搔き集めて立ち上げたバンドじゃないからね!!!ドメ先のことは放たっときないね!(訳:放っておきなさいね!)
■80年代のサンリオといえばファンシーショップ!
みんな大好きサンリオ!本編の注釈にあるとおり、サンリオといえばハローキティですが、同時期に誕生したパティ&ジミーも大人気だったし、運営世代が小学生の頃のいちばん人気はキティの後に誕生したキャラクターのキキララ!
キキララと同時期にマイメロディも誕生していたと思いますが、コチラはキキララの少し後にグンと人気が出たキャラだと思うので、アッコちゃん世代ではいちばん人気だったかもですねー^^
ちなみに当時のマイメロはおしとやかイメージのウサギさんでした。なのでウン十年後にアニメのマイメロが天然かつワイルド⁉キャラになっているのを見たときはビックリしましたw
またマイメロのアニメでは大人気のクロミちゃんですが、80年代はまだ居ませんでした。
マイメロはもっぱらお友達であろうネズミちゃんとコンビでシールとかになってました。あのネズミがフラットくんという男子だというのはたった今知りました。名前知らなくてごめんねフラットくん(汗)
そんなわけで、今も昔もずっと愛され続けているサンリオですが、物語の舞台である80年代の女子たちのサンリオへの熱量ってそりゃもう凄かったんですよ!
もう少し細かく書くと、70年代後期から80年代中期にかけて、小・中学生の女子のサンリオへの熱量は凄くて、友だちで集まってサンリオブランドの文房具を買いに行ったりしてました。
当時、サンリオグッズをはじめ可愛い文房具や小物を扱う「ファンシーショップ」と呼ばれるお店が全国各地で流行ってたんですよね。運営も近所のファンシーショップに行くのが楽しみのひとつでした。
ファンシーショップでは小物だけではなくサンリオのいちご新聞が買えたり、買い物する度に1つ可愛いスタンプを押してもらえるカードがあるお店も多かったです。このカードは全部埋まると商品券として使えたりとお得な特典があるうえに、カード自体のデザインも可愛いモノが多く、魅力的でした♪
都会だと、現在も絶賛営業中のキディランドみたいな大きいお店が昔からあったと思うけど、80年代の宮崎で身近なところだと、真っ先に思い浮かぶ大きなファンシーショップは宮交シティ3Fのヤン!サンリオグッズが沢山ありました。江平にはレモンがありましたよね。(レモンは江平以外にもあったような気がする…)
あと、大型店舗だけじゃなく、近所の本屋さんとか文具屋さんも当時はサンリオグッズを取り揃えてファンシーショップ仕様にしてる場合が結構あったと思います。
90年代にはファンシーショップよりオシャレで大人っぽい「雑貨屋」さんが流行りだしたので、いつのまにか小さなお店は姿を消してしまいましたが、小・中学生の頃はとくに行くのが楽しみなお店でした^^
■8~90年代のファンシーグッズについて色々書いてみた(当時の宮崎にあった雑貨屋さん情報がオマケで載ってます)
以上!『まるさんかくしかく』26話目の「宮崎&昭和あるある」でしたが、いや~、ドメ先は相変わらず軽いですね~!昭和の言葉でいうところの、まさに「C調」!
令和のヤングの皆さまにおかれましては、意味不明かもしれませんが、C調は「軽薄で調子のいい様」を表わす昭和のスラングです。(余談ですが、今回ドメ先のホラに使われてしまったサザンも「C調言葉に御用心」というタイトルの名曲を出してます)
C調で困った先生ではありますが、この軽さ、良くも悪くも他者(生徒)との距離が近いところ、そして恋愛至上主義!すごい!全部80年代そのものの特徴だコレ!
ひょっとしたらドメ先は80年代の権化なのかもしれないですね~
この先もどんなことが起きるのか?「宮崎&昭和あるある」とともに次回も楽しみです!