現在と同じ部分も違う部分もある平成元年あたりの宮崎。
今回は2023年現在の地図を見つつ、1991年の宮崎工業高校の周辺を散歩してみましょう♪
宮崎工業高校だった場所の現在は?
1991年に宮崎工業高校だった場所は、2023年現在も変わらず宮崎工業高校のままです。建物も外観・内装ともに当時から大きくは変わってないんじゃないかなぁ…
ただ、教室のドアは歴史を刻んだ学校にありがちな『昔懐かしい、褪せたペンキ剥がれかけ&金具サビ錆』ではなく、木目が美しい新しいモノに変わっているようですよ!そこだけキレイめカントリー雑貨屋さんチック!
学科も多少の名称変更はあるものの、1991年当時と同じ7学科を継続しています。
1905年(明治38年)創立なので、学校が刻んできた歴史は約120年。県内でも屈指の伝統校です。
そしてその歴史の中でも、
1948年(昭和23年)4月から1965年(昭和40年)3月末までの約20年間の宮崎大淀高校時代の工業高校は、のちの宮崎農業高校・宮崎南高校を内包するマンモス校でもありました。
そんな歴史ある工業高校のことを、
平成元年あたりの宮崎の高校生たちは、運営陣が知るかぎり「工業」と呼ぶことが多かったように思いますが、高校の公式HPやWikipediaの情報を見たところ「宮工」呼びの方々も多かったのかな!?
そうそう、平成元年あたりの工業といえば…
1992年にコブクロの小渕健太郎さんが入学されていますね(^^)
工業での3年間、最初はバトミントン部だったものの、退部してからはいくつものバンドを掛け持ちしてライブにも出演されてたとのことなので、
バンドブーム真っ盛りだった当時、同じようにバンド組んでて、小渕さんと共演した同世代の方々もいらっしゃるのでは!?
あと、宮崎市民にはおなじみのミカエル堂のジャリパン
あれは元々バタークリームロールという名前だったようなのですが、
お昼にそれを食べていた工業の生徒たちが美味しく食べながら、愛称として「ジャリパン」と言いはじめたことを発端としてジャリパンという名前になったそうですよ♪
おっと…話がかなり横道に逸れてしまいましたがw
なんにしても当時、あくまでも運営周辺の女子のあいだでの話ですが…「工業」の男子は明朗快活で勉強も出来るという、かなり理想的なイメージで、
と、なんだが一大ブランドとなっておりました。当事者からしてみたら要らぬイメージをつけられて、たまったもんじゃなかったろうなと思いますがw
ちなみにこれまた運営周辺のみかもしれませんが、当時これの女子版が女子高の生徒さんたちでした。これまたたまったもんじゃなかったろうなぁ(^^;
さて、話が横道に逸れてしまいましたがここからは1991年に工業高校付近にあったお店をちょこっと覗きに行ってみましょう。
年見商店だった場所の現在は?
1991年に年見商店だった場所には、2023年現在も変わらず同店が存在しています。
パッと見るかぎり現在はタバコ屋さんかな?という感じですが、工業高校の校門の真ん前に存在するお店なので、当時はココにパンやお菓子も置いてたんじゃないかなぁ。
またお店の前には自販機もあるので、当時ココで放課後などにジュースを買ってた生徒さんキット多かったろうなと思うし、現在も多分そうだろうなぁ^^
ジーンズショップ・セブンだった場所の現在は?
1991年にジーンズショップ・セブンだった場所には、2023年現在も変わらず同店だった建物が存在しています。
ですが、かなり前からアイレディース化粧品の看板がありますし、ジーンズショップとしては、この看板が登場する以前に閉店されていたんじゃないかなと思います。
当時の工業の生徒さんたちのなかにはココでジーパン買った方も居たのかしら…
すぐそばに『なんでも揃うレマン』があるなか、ココでジーンズショップをされていたということは相当レアな商品とかもあったのかなぁ等、色々と思いを馳せてしまう運営なのでした。
柿塚国男石材店だった場所の現在は?
1991年に柿塚国男石材店だった場所は2023年現在、同店の駐車場になっています。
そしてお店自体は道を挟んだ斜め向かいのキレイな建物で石屋の柿塚という名称になって営業されています。
91年当時、移転した現在の店舗がある敷地に何があったのか詳細が分からないのですが(駐車場だった?という話もあるようですが!?)、少なくとも2011年には青いテント屋根に大きな白い文字でお店の名前が書いてある同店の展示場が存在していたのを確認しているので、その頃の工業の生徒さんには学校の行き帰りで目にするお馴染みの風景だったろうなと思います。
なお、平成元年あたりの宮崎で夜に流れていた某CMを連想する方も居るかもですが、コチラは別のお店のようです
豊吉うどん(三角茶屋)・吉長うどんだった場所の現在は?
1991年に豊吉うどん(三角茶屋)・吉長うどんだった場所には、2023年現在も変わらず両店が存在しています。
ですが、吉長うどんはおくのうどんという名前に変更しています。
名前は変わりましたが人気は変わらず!
平成元年あたりも現在も、安価で美味しい宮崎うどんの老舗は腹ペコ学生さんの強い味方ですよね^^というか、学生時代をとっくに通り過ぎた運営陣も大好きなお店です♪
押川弁当だった場所の現在は?
1991年に押川弁当だった場所では、2023年現在博多からあげ・響(美味しくてリーズナブルと好評♪)が営業中です。
ちょうど1991年(平成3年)にキラ星の如く現れた大人気お弁当屋さん押川弁当!
美味しくてボリュームたっぷりでお手頃価格となれば、そりゃもう腹ペコヤングが行かないわけはなく^^当時の工業の生徒さんの中にも、のり弁やチキン南蛮弁当を買っていた方いっぱい居ると思います♪
なお、押川弁当は当時の場所にはありませんが、すぐそばに移転して絶賛営業中なのでご安心を!
下記メニュー表の右上に地図が載ってるのですが、小さくて見えにくいかな^^;もとの場所から信号ひとつ超えた、宮崎市恒久6063−1で絶賛営業中ですよ♪
ゲームショップにレコード店…あの店この店の現在は?
工業高校のすぐそばの大通りといえば、南宮崎駅から中村五差路を越えて続くレマンへの道。この通りには1991年当時も色んなお店がありました。
■We’sn(2023年現在は駐車場)
■鈴木酒店(2023年現在も建物は現存)
■ファミコン探偵団と紀乃国屋弁当(2023年現在も両店舗が入っていた津野ビルは現存。企業の営業所と瀬尾ゼミになっている)
■レコード アパ(2023年現在も店舗が入っていたビルは現存。名称は前川ビルからドリームビルに変わっている。レコードアパは角地にあったようなので現在は和だいにんぐ川越だと思われる)
■マンガレンタル ミッキー(2023年現在は川上保険事務所)
■パン ガリバー(2023年現在も店舗が入っていた串間ビルは現存。現在のウエキコーポレーション出張所の場所にあったと思われる)
レマンショッピングセンターだった場所の現在は?
1991年にレマンショッピングセンターだった場所は、2023年現在空き地です。
正確には、レマンホテルだった場所にはマンションが建っており、それ以外の場所は立体駐車場だった場所も含む全てが更地になっている状態です。
ですが、ゲームプラザミスタードンキーが入っていたレマンコーポは現在も現存していますし、ラーメンしせんととむのや珈琲店は現在も絶賛営業中ですのでご安心を^^
平成元年あたりの宮崎市と令和の宮崎市ー日常に密着した小さなまちかどにも当時と現在では様々な違いがありますが、
どちらも『誰かの思い出』であり、『これから思い出になっていく』場所。
今後も記憶のなかを散歩しながら、すこしずつ大切に記録していこうと思います。
ですが、どのまちかどにも運営陣が拾いきれない沢山の思い出が隠れているはず…
「当時この周辺にはこんなお店もあったよ!」などの情報や和やかエピソードがありましたら、是非ともコメント欄にお寄せくださいませ♪
記事を読んでくださっている皆さんと、平成元年あたりの様々な宮崎を共有できたらとても嬉しいです(^^)